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第63回「最後の開拓地」

 「宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。これは、人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立った宇宙船U.S.S.エンタープライズ号の驚異に満ちた物語である」。1966年にアメリカでテレビ放映開始されたSF(空想科学)番組『宇宙大作戦』(邦題。いわゆる『スター・トレック/STAR TREK』シリーズの最初の番組)のオープニング・ナレーションです。日本語吹替では若山弦蔵が担当し、低音で渋い声が番組冒頭を引き締め、何とも「格好いい」スタートを演出します。時は23世紀。人類は様々な異星人とともに「惑星連邦」を構成しています。その「惑星連邦」の防衛組織が「宇宙艦隊」です。この物語は、「宇宙艦隊」に所属するエンタープライズ号が、広大な宇宙の未知の領域を探査し、数々の文明や種族と接触する中で、時に協力し合い、時に戦闘を交えながら、幾多の困難を克服することによって、次なる新世界へと勇猛果敢に前進していくというストーリーです。まさに“trek”、即ち「長くて多難な旅路」なのです。
 扱われるテーマは多彩でした。戦争と平和、自由と平等、個人と全体、神と人間、罪と罰、法と道徳、論理と感情、過去と未来、人間と機械、愛情と怨念等々多岐にわたります。『宇宙大作戦』は大人の鑑賞に十分耐えられる、いやむしろ大人こそ真剣に見なければならない作品なのです。見て楽しみ、考え、学ぶ。実に深くて重い意味を持つテーマが扱われているものだと今更ながら感心することがあります。私自身、この番組を本当に小さい頃から知っていましたし、再放送されるたびに見ていましたから、よい意味で相当その影響を受けてきたと思います。熱狂的な“STAR TREK”ファンは「トレッキー(Trekkie)」などと呼ばれますが、私もそのひとりなのでしょう。各国で放映が繰り返されるうちに世界規模で増大したファン達の声援を受け、アニメ版や映画版、また登場人物・時代設定を変えた新シリーズも次々と制作され、今もそれは続いています。『宇宙大作戦』の世界は加速度的に拡大する「社会現象」の様相を呈しており、今現在その辺縁がどのあたりにあるのか私にもわからなくなってきているぐらいです。
 さて、ここからは冒頭のナレーションに出てきた言葉、「人類に残された最後の開拓地」という表現に少しだけこだわってみたいと思います。
 このシリーズの設定としては、人類がアインシュタインの特殊相対性理論を乗り越えて、光速以上の速度で宇宙飛行する「ワープ航法」を実現できる科学技術レベルに到達し、同時にその時を待って初めて異星人が人類と接触を開始したのだとされています。最初の接触、ファースト・コンタクトです。これにより、人類は異星人との交流を始め、団結し、さらなる深宇宙へ向けて探査活動に乗り出します。しかし、これは明るい未来の始まりであると同時に、想像をはるかに超える強大な脅威群との遭遇にもつながりました。
 この流れからすると、人類が深宇宙に向かう前に、先ず異星人が地球に向けてやって来たということになります。人類をはるかにしのぐ高度な技術を持って、です。しかも、その人類が深宇宙で遭遇する新しい知的生命体の文明や科学水準は、人類のそれよりも未開の場合もあるものの、時に超絶的進化と圧倒的進歩を遂げています。それにしても、後者のような「進んだ」生命体(自生的機械という場合もある)は、最初の接触をした異星人や既に人類と同盟・交易・交戦したことのある異星人と違って、どうして今まで人類とコンタクトしなかったのか、わかりやすく言えば、どうして地球へやって来なかったのか、という素朴な疑問も湧いてきます。偶然地球方面には向かっていなかっただけなのか、敢えて何らかの理由で行先から外していたのか……。とにもかくにも、「最後の開拓地」なる宇宙へと勇敢にも進出した人類は、実は常に進出され得る方でもあったということです。恒星系間移動も容易にする先進技術と立派で成熟した世界観・宇宙観を有する「優秀な」生命体を自認して、晴れがましくも出航したところが、「寝た子を起こす」ような挙に出て、逆に進出を促してしまい、「人類に残された最後の開拓地」を求める宇宙旅行の出発地・地球自体を異星人の「最後の開拓地」にしてしまう危殆を招くこともあったという訳です。宇宙の中心は地球であり、地球や人類を起点として全方向に探求心を向けていく、という発想は、あくまでも「人類の」視点に立つものでしかないのでしょう。
 先頃、アメリカの国家情報長官室は、アメリカ軍が目撃した未確認飛行物体(U.F.O.)に関する報告書を公表しました。報告書によれば、2004年以降に144件の目撃事例があり、うち1件は気球がしぼんだものであったと判定されましたが、それ以外の事例については、自然現象なのか、他国が開発したものなのか、自国の何らかの組織が秘密裏に開発したものなのか、はたまたその他の飛行体なのか、全く不明であるとされています。映像も公開されていますので、それを繰り返し見てみると、どう考えたところで前三者である可能性は低く、「その他」、はっきり言えば地球外文明の所産であるように推測できます。勿論、断定はできません。但し、報告書には「アメリカの国家安全保障上の脅威となり得る」と記されているのです。「国家安全保障上の脅威」とは一体何なのでしょうか。
 ここからは一層想像(空想)の度合いが高まるのですが、未確認飛行物体が地球外知的生命体によるものだとしたら、それは明らかに人類より優れた技術を保有していると考えられます。何百年、いや何千年単位で進んでいる技術でしょう。とすると、ここでまた疑問が出てきます。「彼ら」は何のために地球へ来たのでしょうか。調査のためでしょうか。交流を求めているのでしょうか。救援を求めているとは考えにくいです。「彼ら」の方が高水準の解決手段を持っている可能性が高いからです。では、警告のためでしょうか。ひょっとして侵略のため……?もっと直截的に表現すれば、敵か味方か中立か、それが知りたいのです。そのいずれであっても、人類全体に対して同一の対応をしてくるでしょうか。それとも、特定の国とだけ連携したり、特定の国とだけ対立したりするのでしょうか。アメリカにとって脅威なのでしょうか。別の国にとって脅威なのでしょうか。やはり人類全体にとって脅威なのでしょうか。
 どうであれ、地球外に生命体と文明が存在するという事実に直面すれば、人類は相当に混乱するでしょう。何故ならば、これまで人類が踏み出した宇宙は太陽系内に限局されており、望遠鏡の中やフィクションの世界では深宇宙に接してきたとは言え、あくまで視座は人類中心であり、その世界観・宇宙観は人類の内で完結しているというのが実情だからです。従って、人類の自己完結を否定する異星人の出現は、当然のこと深刻なカルチャーショックを惹起するでしょう。自然科学だけでなく、人文社会科学における常識は覆され、哲学や宗教の思想はその普遍性について根本的に再考を迫られるかもしれません。(もっとも、それらの思想は異星人の存在すら包摂し得るだろうという希望は持っています。)要は、人類は、そのアイデンティティーを保持するために、世界観・宇宙観だけでなく死生観までをも徹底的に突き詰め、自己省察しなければならなくなるということです。大波襲来!
 ここまで考えてくると、至極当たり前のことが明確になります。自称「万物の霊長」たる人類は世界の中心かつ頂点に立つと自負しているのですが、実はそのような中心や頂点に立つと考える者は人類だけではないということです。中心は一点だけでなく、あらゆるところに存在し、それぞれにおいて「我こそは中心にあり」との主張が展開されています。まさしく多数中心、複数中心の状態です。中心が多元的に存在する「相対的な」状況にあるのです。ある一定の中心だけが常に特定の役割を担う立場にある訳でもなく、常に能動的に何事かをなす側にある訳でもないのです。別の中心からしてみれば、そのような立場は簡単に逆転し得るものなのです。自己中心に宇宙は成り立たず、また他者中心に成り立つものでもありません。確かに、かくの如くこの中心間での優劣はつけ難く、現実的には「力の均衡」が破られた時に残存するか消滅するかで事実上の決着がつけられることも考えられますけれども、基本としては「永遠の名の下に」相対的な関係を保ちながら併立しているのでしょう。このことは、絶対的な存在を否定するものではなく、ただ何が絶対的かは容易には知り難いということを意味するに過ぎず、「絶対」を追究したり措定したりすることの意義まで否定するものではありません。只々先ずは自分達が宇宙の中の中心の「ひとつ」にあることを知るべし、とだけ言いたいのです。
 「最後の開拓地」は、そもそも誰にとっての「最後の開拓地」なのかと問う視点は重要です。「人類に残された」と言ったところで、それは人類が勝手に言っているだけのことです。「最後の開拓地」を求めて出発し、また出発しようとしている生命体は無数にあると考えた方が自然です。そこで、ある中心にある文明と、別の中心にある文明とが接触した時にどのような反応が生じるのか。その瞬間にこそそれぞれの文明の真価が問われることになるように感じられてなりません。
 我々の周囲には未知の事柄が数限りなくあります。それをひとつずつ解明していくことが我々の使命であるとすれば、自己の属する中心以外の中心群をしっかりと意識し、認めることが、我々のあらゆる営為にとって不可欠なのでしょう。この宇宙の話を、国際社会に、日本国内に、地域社会に、組織内に、また家庭内に敷衍して考えてみても面白いかもしれません。ものの見方ひとつで別世界が目前に現れると言ったら言い過ぎでしょうか。
 夜空に燦然と輝く無数の星を眺めてみましょう。ふとした刹那に、そのどこかの星から眺められている自分に気づくはずです。
 第70期に入って3ヵ月が経過しようとしています。皆さん各自の持ち場において困難な状況を克服し、懸命に仕事を仕上げようと努めていることと思います。
 もうおわかりでしょうが、あらゆる建設の仕事は、請負者中心に成り立っている訳でなく、また請負者だけの都合で進められているものでもありません。そこには、お客様の中心、設計者の中心、協力業者の中心、御近隣の中心等が混在しています。その複数の中心間で上手く均衡を保ちながら竣工引渡を目指さなければ、残念な結果に至ってしまうことになるでしょう。その意味で、建設工事請負業に携わる者は、数々の中心、登場人物の利害得失、言い分、コンディション等々の総合コーディネーターとしての一面を持つとも言えます。見事なコーディネートにより、素晴らしい建造物を完成させましょう。
 しかし、その前に自分自身のコーディネートも忘れないでください。季節の変わり目は体調管理が大事です。日々心身を整えて、安全のうちに仕事に取り組むことがすべてのベースとなります。その確認の意味でも、いつもの挨拶を。ご安全に。

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