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第119回「『入門編』と侮るなかれ」

 今年のNHK大河ドラマは、豊臣秀吉とその弟・秀長を主人公とした物語になっています。別の言い方をすれば、秀長に軸足を置いた『太閤記』です。テンポのよいストーリー展開、主人公の軽妙洒脱な演技によって、出世と没落によって彩られた波乱の時代絵巻が今後いかにして描写されていくのか、その点大変楽しみなところではあります。
 このドラマに便乗してか、書店へ行けば関連書籍が山積みになっています。学術研究書から漫画本の類まで実に多種多様な書籍が、まるで「旬の食材」よろしく、店内をさまよう渉猟者達の目を惹いている様子は、毎年の風物詩ながら、世間的な興味関心の中心点のひとつが大きなうねりをもって移行したことを示す証左であるように思われてなりません。
 それでは数ある関連本のうち、小生お薦めの本を敢えて1冊挙げるとすれば、それは山路愛山著『豊臣秀吉』(岩波書店、平成8年)となります。原題は『豊太閤』で、前編が明治41年に、後編が明治42年に文泉堂書房・服部書店から出版されています。文語体の文章なので多少読み難さを感じるかもしれませんが、それはまた反面、作品内容の格調を高くし、読者を戦国乱世の真っ只中へと誘うことに資するはずです。それに文語調とは言え、読み進めていけば次第に慣れていき、描写のリズム感を自得できるようになるでしょう。そうすれば誰もが秀吉・秀長と同時代人になり、その時代の空気を共に吸っている感覚に襲われるのです。この点、やはり山路の筆力に負うところが大きいでしょう。
 山路の『豊臣秀吉』は、勿論秀吉の伝記に違いないのですが、ただの伝記ではありません。評伝です。辞書によれば、ある人物について、その一生の事蹟が研究や論評を交えて述べられた記録のことを評伝と言います。まさしく山路の本作は、例えば秀吉の出生話ひとつにしても、その時代の国内情勢や勢力分布、生まれた地域の風土や生活習慣・様式、当時の人々の常識・価値観などを、微に入り細を穿って徹底的に分析した上で初めて本題に入るという具合で、事程左様に、秀吉の生涯における数々の事象を取り巻く環境や条件について、これでもかというくらいに掘り下げずにはいられない山路の性分・姿勢は決して揺らがないため、話がなかなか前へ進まないもどかしさを感じざるを得ないのもまた事実です。ただそれこそが、山路の著す歴史評伝の真骨頂であり、並みの伝記とは一線を画する所以なのです。そこまで詳細に踏み込んで描写し、さらには数多の史料を参照・引用しているが故に、私はこの1冊を薦めるのです。それは先ず手に取って読むべき「入門編」として、同時に、その1冊があれば人物の全体像を網羅的に把握でき、相当な情報量に接することができる一応の「決定版」としても位置付けられるでしょう。
 今ほど「入門編」と言いました。最初に接するべき事柄、初心者としては避けて通れない基本的な知識・技術を指します。何事にも最初というものがある以上、何事にも「入門編」に相当するものが存在します。この「入門編」についてのささやかな思い出を、例外的ではありますが、ほんの少しばかり記してみたいと思います。
 学部4年生の秋に進学が決まった際、専攻する法理学のK先生から「ドイツ語を習った方がよいので、今からS先生の西洋法制史演習に参加してはどうか」と勧められました。(何と言ってもK先生から受けた学恩については感謝の思い尽きせぬものがありますが、それはまた改めまして。)確かに教養部では第1外国語が英語で、第2外国語として中国語を選択していましたから、ドイツ語とはそれまで全く無縁のままだったのですが、さすがにこれからはドイツ語と接することも増えていくという訳で、S先生の演習に参加して語学勉強(武者修行?)して来いというご指導になったのでしょう。ただ、そのS先生の演習は院生がドイツ法制史の古典的文献を輪読する形式で進められるため、ドイツ語の知識もドイツ法のそれも持ち合わせていない自分にとっては、参加するにはかなりハードルが高いものだったのです。しかもその演習には、民法や日本法制史の先生方もドイツ語やドイツ法の見識を高めるべく「オブザーバー参加」されており、ますますもって近寄り難くなっていました。それでも今後のためには参加せねばならぬことは十分わかっていましたので、蛮勇を奮ってS先生の研究室の扉を叩きました。入室してご挨拶申し上げると、S先生は前もってK先生から事情を聞かれていたようで、快く参加を承諾してくださいました。さらに、お薦めの独和辞典を紹介してくだった上に、1冊の薄くてコンパクトな文法書をくださいました。信岡資生著『SHULGRAMMATIK DER DEUTSEN SPRACHE(教室ドイツ文法)』(三修社、昭和44年)。S先生の手元に置かれて相当な年月が経っているのでしょう、表紙にはシワが入り、各ページも日焼けしています。「進呈しますから、先ずはこれ1冊をしっかり読み込んで覚えてください」とのお言葉を受け、ありがたくも頂戴したその文法書を必死になって読みました。アルファベット表記から始まり、発音、動詞、名詞、代名詞、前置詞、形容詞、時制、助動詞、受動態、関係代名詞、接続詞……と、英語に比べると格段に複雑な文法に関する説明は、何度読んでもそれほど簡単に頭の中に入ってくるものではありません。しかし、それでも演習は既に始まっているのです。
 院生達はしっかりと予習してきており、輪読の順番が回ってきても、スラスラと音読・翻訳して発表していきます。その発表に対してS先生が訂正や解説を加えられたり、皆で議論を深めたりするのです。当然のこと私にはチンプンカンプンな話で、静かに末席を占めて、ただ時間が過ぎ去るのを待つのみです。それなのにS先生は私に「どうですか、次の段落を翻訳してみますか?」などと問いかけてこられる。いやいや、それはあまりに残酷ですよ、と心中思いつつ、その時は苦笑して固辞するしかありませんでした。
 これは大変なことになりました。しっかりと予習しておかなければとても演習の進行には付いていけません。単語をひとつずつ辞書で引き、頂戴した文法書を繰り返し確認しながら、本当に言葉どおり「亀の歩み」で翻訳していくしかなく、そのため休日は翻訳漬けになりました。長期休暇の際には「翻訳貯め」に必死になり、次の演習日に備えました。学術的な専門用語はわかっても、日常会話の簡単な単語の意味はわからないという歪な知識状況ではありましたが、それでもドイツ語の文章を1行ずつコツコツと訳し続けていったのです。言うまでもないことですけれども、私の専攻する法理学の勉強にこそ最も注力せねばならず、K先生との「マンツーマン演習」に向けた準備は決して怠れません。加えて、もう一人別のS先生による比較法(イギリス法)演習にも参加したので、学生ですから当然ではありますが、3つの演習への対応に追われて日々結構忙しくなりました。それが青春の1ページを飾っていたとも言えましょうか。ともかくも、ドイツ語を学ぶにあたっては、S先生から贈られた1冊の入門書が大いに助けとなり、とても役に立ったのでした。初心者が学ぶべき基礎・基本が記された1冊。学びの起点であり、常に自らの思考や言動の基底にあり続けるものとして終点にまでつながる本と内容。「道標」としての「肝心」はスタートからゴールに至るまで伴走してくれるものです。また、その伴走なきところは、羅針盤のない航海と同じように、危険と不安によって覆われているに違いありません。目的地には到達できないでしょう。上述の1冊はいつも私に伴走してくれる「入門編」として今も手元にあります。
 「入門編」は大切です。基本中の基本です。内容的に難解になる前に位置し、容易かつ近づきやすいものです。だからと言って、それを軽んじては次のステップに移れません。すぐに壁にぶち当たってしまい、結局振り出しに戻るか、すべてを諦めるしかなくなってしまいます。これではロスが大き過ぎます。そのようなロスを回避するためには、素直かつ丁寧に「入門編」に取り組むに如かずです。一見面倒臭い基礎固めや下積みを厭うて「本物」やプロフェッショナルになれるのでしょうか。中間省略の近道行為は、後々の無理やボロの誘因となります。無理があれば崩れます。その損害・損失の責任は偏に自分が負うことになるのです。例えば算数の問題集を解く際に、解答例を見てそのまま答えを丸写ししたところで、その行いは算数の内容理解や能力向上に役立つどころか、有害かつ無価値以外の何ものでもなく、その場は辻褄合わせで切り抜けたつもりでも、次に待ち構える高難易度の問題を理解することはできず、とどのつまり大きなツケを払わざるを得なくなるのと同じことです。また、後先考えぬ安直な選択は、自分にだけでなく、場合によっては周囲の人にも悪影響を及ぼしかねません。要は「急がば回れ」ということでしょう。たとえ回り道のように思われても、物事の順番を間違えず、ひとつひとつのプロセスを経ていけば、自分で考え、自分で腹落ちし、その上で自分の言葉で他者へ伝達できるようになるはずです。物事の基本を知り、仕事の基本を知り、それを日々実践することを経て、ようやく成果につながり、深化にもつながるということは万事に通じる……これもまた基本ということでしょうか。
 本居宣長は師の賀茂真淵から次のように戒め諭されました。「世の中で学問をする連中を見ていると、低い所(基礎)を経ないで、早くも高い所(応用)に登ろうとするので、低い所さえ習得できず、ましてや高い所など習得できようはずもないので、間違いや誤りを犯してしまうのである。このことを忘れずに留意して、先ずは低い所からしっかりと固めておいてこそ高い所へ登ることができるのだ。……決して一足飛びに手っ取り早く高い所へ行こうと望んではならない」(『玉勝間』「あがたゐのうしの御さとし言」)。至言です。
 今回は自省と自戒の文章を書き連ねてしまいました。「言うは易く、行うは難し」とも言いますが、先ずは至言を深く心に刻むところから始めるしかないようです。
 さて、第74期もあと1カ月をもって期末を迎えます。期中に終わる仕事、また終わらせなければならない仕事、さらに来期に継続する仕事、各人それぞれに様々な仕事があるでしょう。それらの仕事には必ず期限と予算と水準が課せられていますが、その担い手としての自信と誇りを持って仕事を仕上げれば、後悔することなく満足した「完成」を見ることができると思います。基本的な手順を踏み、関係各所と意思疎通を図っていく姿勢はプロフェッショナルの振る舞いそのものです。確かに日々の仕事は、厄介で、面倒臭くて、ある意味理不尽なことに満ちています。加えて手間暇かかる手続がいくつも要求されるとしたら、いかに効率よくこなそうかと考えてしまうのも人情でしょう。しかしながら、効率よくこなすことと、基本的な決め事を脇へ追いやってしまうこととでは全く意味が異なります。我々に求められているのは、低い所を手堅く押さえてクリアし、着実に高い所を目指すことです。
 本居宣長記念館名誉館長の吉田悦之先生は自著『本居宣長』(創元社、平成27年)の中で、基礎固めの繰り返しによって大業が成就するさまをして「たくさんの小川が集まって大河となるよう」だと表現しています。その様子が目に浮かぶような素敵な言葉です。
 大河へとつながる日々の一滴に心を込めて。ご安全に。

当社会長を務めた岩部一好(1939-2016)は、社員とその家族に向けて毎月の給与明細にメッセージを添えていました。
そのメッセージは、作家・城山三郎先生に序文をいただいて『雄気-築きあげたものたち-』(平成16年4月発行)と題された本にまとめられました。その後もメッセージは書き続けられ、2冊目の本『雄気-大切なこと-』(平成22年4月発行)が上梓されました。さらにメッセージは続き、本人が亡くなる直前の平成28年5月分が絶筆となりました。2冊目の本に掲載された分より後のメッセージは、3冊目の本『雄気-完結編-』(令和8年4月発行)に収録されました。
中堅企業に成長することを夢見て、目標に向かって一体となり、自ら物を考え、そして、悩み、行動する真の大人集団となる努力こそがすべてだ……これがメッセージを貫く基本的な考え方だったのです。

全292回。『雄気』の思いは、今もひとりひとりの心に、また活字に姿を変えて生き続けています。

※なお、1冊目の『雄気-築きあげたものたち-』と2冊目の『雄気-大切なこと-』は在庫切れとなっておりますが、3冊目の『雄気-完結編-』につきましては若干の在庫がございます。ご希望の方は当社までお問い合わせください。

雄気-完結編-

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