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第112回「出雲再訪」
私が初めて出雲を訪れたのは、平成20年5月4日のことでした。丁度その年、出雲大社本殿の大修理(御修造)が着手され、5年の歳月をかけて屋根替え等の工事が実施されることになったのです。それに先立ち、本殿の御神体は4月20日の「仮殿遷座祭」にて拝 殿に遷り、工事が終了した後の平成25年5月10日の「本殿遷座祭」にて本殿に還るという段取りで、従って、工事期間中の本殿は「お留守」の状態になるため、その間に限って本殿の内部が一般公開され、特別に拝観できることになったのでした。そのため「この『平成の大遷宮』の機会に是非とも本殿内を見学したい」と思い立ち、出雲への日帰り旅行を敢行したのです。列車移動での日帰り行程は結構きつかったのですが、圧倒的な好奇心故に、艱難辛苦は覚悟の上、比較衡量の対象にすらなりませんでした。見聞するすべては我が興味関心の対象であり、その日は十分満足のいく過ごし方ができたと思っています。
出雲大社の主祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)です。大国主神は須佐之男命(すさのおのみこと)の6世の孫にあたり、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)と共に葦原中国(あしはらのなかつくに。地上界)を「国作り」したのですが、高天原(たかまのはら。天上界)にいらっしゃる天照大御神は「地上界は私の御子がお治めになるべき国である」と仰られるので、様々な神々を派遣するもうまくいかず、最終的に建御雷神(たけみかづちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)の二神が遣わされ、大国主神に対して「この国を譲るのか、譲らないのか」と諾否を問いました。大国主神は「私の2人の子供が納得すれば譲ります」と回答しました。その2人の子供、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)が最終的に納得したことを受け、天上の二神は大国主神に「国譲り」を迫りました。大国主神は「国譲り」を認容し、同時に天上界の宮殿と比べても遜色ない立派な住まいを造営してくれるのならば、自らは静かに神事にのみ専念することを約しました。(これを受けて「天孫降臨」へと続きます。)この「国譲り」の交換条件として建てられた住まいこそが出雲大社の起源となります。「底津石根(そこついわね)に宮柱ふとしり、高天原に氷木(ひぎ)たかしりて」、つまり「宮殿の柱は地下深くの岩盤にしっかりと打ち立て、千木は高天原に届くほどに高々と立派に設けて」建てられた巨大建築物、後に出雲大社と呼ばれることになる「杵築大社(きずきたいしゃ)」の始まりです。神話の詳細については『古事記』や『日本書紀』などを、また、出雲大社の解説については千家尊統著『出雲大社』(昭和43年 学生社)などをご一読いただければと思います。
それで、その出雲大社の本殿について。現在の本殿は延享元年(1744年)に建てられており、それまでに25回の建替があったとされます。本居宣長の『玉勝間』によれば、上古の本殿の高さは32丈(約97m)、中古のは16丈(約48m)、今建つのは8丈(約24m)とされており、現在でも圧巻の威容を誇る社殿は上古ではどのように造営されていたのか、この点建築学的にも議論の的になっているところです。地中より発見された柱の遺跡からは、今に伝わる図面のとおり、3本の材木を鉄の輪で緊縛して1本の大きな柱にしていたことがわかります。歴史への想像力が一層逞しくなっていかざるを得ません。現在の本殿の御修造は、文化6年(1809年)、明治14年(1881年)、昭和28年(1953年)に実施されており、大体60年から70年に1度の周期となっています。今回の平成20年から25年にかけての御修造は4回目になる訳で、このタイミングに巡り会えたことは、偶然のなせる業とはいえ、本当に幸運でした。
JR出雲市駅に到着後、タクシーにて出雲大社へ向かいます。『平成の大遷宮』で相当混雑しており、運転手さんが「別ルートで本殿に近いところまで行けますよ」とサービス精神一杯に気を配ってくれたまではよかったものの、そこで降りても実は意味がなく、既に本殿特別参拝客の行列は二の鳥居(勢溜[せいだまり]の大鳥居)くらいまで続いていました。結局プラカードを持った係員のいる最後尾まで歩いていきましたが、その係員は参拝客の服装チェックもしていたのです。やはり本殿に昇殿参拝する以上、それなりの服装が求められるということです。私は背広にネクタイ着用でしたので特に指摘はされませんでした。行列はゆっくりと前へ進み、ようやく本殿前に設置されたテントに到着します。そこで服装の最終チェックを受け(ここまできて昇殿を断られた人もいました)、「御本殿特別拝観之証」をいただくと、いよいよ昇殿です。履物をビニール袋に入れ、本殿南面の15段階段を1段ずつ上り、大床を反時計回りに1周します。本殿を歩き、本殿から境内を眺めるという経験はとても新鮮で心が震えました。1周して元の位置に戻ってくると、蔀戸(しとみど)が開け放たれた本殿南面前の大床に座ります。敷居をまたいで殿内に入ることはできませんので、敷居ギリギリのところに座って両手を床につけ、にじり寄るようにして内部を拝見します。本殿右奥に御神座があるのですが、角度からして見えません。そもそも御神座は南向きではなく西向きだと言われ、出雲大社での拝礼の仕方が「二礼四拍手一礼」であることと同じく、その理由には不明な点が多いとされます。理由が不明と言えば、見上げた天井に描かれた「八雲之図」です。カラフルで独特の形状をした雲は神威を帯びて漂っているようで、その美しさにしばし魅了されました。しかし、「八雲」と言いつつ、描かれている雲は7つしかなく、その理由もまた諸説あって、本当のところはよくわからないのです。何事も解明し尽くさなければ気の済まない専門家ではない一個人からすれば、「よくわからない」ということこそが神話世界の魅力を高めてくれる訳で、自らの想像力によって肉付けされ、色付けされるところでしか、心安らかに神々と向き合えないのかもしれません。在るか否かわからないところにこそ確実にあるに違いないという「信」を抱く……その状態において不思議に満ち足りた感覚を覚えるのは私だけではないでしょう。
再び出雲を訪れたのはつい最近で、いつもの旅仲間と島根方面に出かけた時のことでした。恒例の鉄道旅行です。改めて出雲大社へ参拝するにあたり、旅仲間のひとりから「正しい仕方でお参りすべし」との意見が出されました。全員がそれに同意したのですが、「正しい仕方」によると、いきなり出雲大社へ行ってはならないようなのです。先ず訪れるべきは稲佐の浜です。まさに大国主神が「国譲り」の諾否を迫られたところです。浜には弁天島という小さな島があり、その前の砂浜において波が引いた時を狙って少量の砂を採取し、持参したビニール袋に入れます。それを持って出雲大社へ向かうのです。出雲大社到着後は、上述の勢溜の大鳥居をくぐり、参道を歩きます。最初に参道右手にある祓社(はらえのやしろ)に参拝し、心身の穢れを祓い清めることになります。次いで手水舎(ちょうずや)にて手水を行ない、拝殿に参拝します。それから本殿へ参拝するのですが、勿論通常は本殿には昇れませんので、その前にある八足門(やつあしもん)前での拝礼となります。その後、本殿北側に位置する素鵞社(そがのやしろ)へ向かうのですけれども、そこで「本殿の東側の十九社(じゅうくしゃ)側から行くのだったか、西側の十九社側からだったか」を失念してしまい、どうしたものかと思いあぐねていると、折よくご神官に遭遇したのでお尋ねしてみたところ、「いろいろと仰る方がいらっしゃいますが、どちらからでも結構です。作法より祈りの心が大切です」と教えていただきました。妙に納得して、東回りで行きました。(結果それが正解でした。)素鵞社では西側から社殿を回り、持参した砂を床下に納め、それより少ない量の乾いた砂をいただいて持ち帰ります。(社屋周りの清め払いに用いました。)そののち玉垣沿いにある本殿西側遥拝所より主祭神・大国主神に向かって拝礼します。大国主神は西側を向いていらっしゃるので、西側より拝礼すれば向き合うことができるのです。最後に拝殿と同じく巨大注連縄で有名な神楽殿に参拝します。以上、これが正しい参拝の仕方で、それに則ってお参りできたという達成感はありました。しかしながら、実は一番印象に残ったのは「作法よりも祈りの心です」というご神官のお言葉だったのです。
なるほど、作法や環境は人を作り、考え方を導くと言います。しかし、作法を弁え、整った環境に置かれさえすれば自ずと確固とした祈りの心は生まれ出づるものなのでしょうか。やはり、ほんの僅かばかりでも心中奥深くに祈りの心の萌芽が宿っていなければ難しいのではないでしょうか。種火無きところに自然発火を期待するのと同じことではないかと思います。その種火は、自らが意識的または無意識的に(時に直覚的に)抱くことになった一片の心持ちであり、まことに弱々しくも確かに灯る微小な「ともしび」です。その「ともしび」が無いところで、外的要因(形式)だけによって祈りの心(実質)は出現しないでしょう。信仰においては、形式だけあっても意味はありません。その反対に、形式がなくても実質的な祈りの心さえあればよいとも言えます。それは形式の軽視ではなく実質の重視として解釈されるべき事柄です。祈りの心は、それがどんなに微弱な「ともしび」のような段階にあっても、そこに神仏への崇敬の念、先祖への感謝、生死・禍福への関心を内包しています。それ故に、祈りの心へと通じる「ともしび」に起因する振る舞いは、いずれも敬虔なのです。
稲佐の浜に臨んで体感する日本海の荒波、猛烈な潮風。そこに古代人の息吹と叫び、日常と非日常、些事と大事などすべてが混じり合い、大きなうねりとなって現代人の心に迫ってきます。私の小智などでは計り知れない古代人の営為が、うっすらと、だが瞬間色鮮やかに目前に姿を現したような気がしたのです。その光景には、我が心の内なる「ともしび」をより一層明るく灯らせる不思議な威力が秘められているのかもしれません。出雲はミステリアスであり、ロマンチックであり、しかもその地に立つ者にシリアスたることを求める「祈りの霊域」なのです。
さて、第74期に入って早4ヵ月が経過しようとしています。日々山積する諸問題をひとつひとつ丁寧に処理し、解決しようと各人が必死になって取り組み、また皆が相互に支え合い、力を総合して事態の打開に努めていることでしょう。
我々の仕事においては、求められる形式要件を満たすことは当然のこととされますが、そこに実質的な内容が備わっているのか、もっと言えば、妥協を許さず、誇りをもって仕上げようとする心意気が込められているのかが重視されるものです。欠けたるところを相互配慮によって補い合い、皆でひとつの事柄の完成へと邁進していくにせよ、形式だけにこだわり、表面のみを取り繕って、内実を虚しくするならば、本当の意味での完成は永久に訪れることはないでしょう。「仏作って魂入れず」は以ての外。仕事は「心を込めて」が大前提ということです。
心を込めて、全力で仕事に取り組むためにも、先ずは何より健康に気を配って。ご安全に。