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第107回「ある朝のバス停で」

 自分のために、あるいはまた自分以外の人(時に身内)のために、何度か救急車に乗ったことがあります。一般に救急車を呼ぶということは、尋常ならざる事態が発生していることを意味します。傷病者本人やその付き添い者は、サイレンの鳴る救急車内で狼狽と焦慮のうちに一刻も早い病院到着を祈り、片や救急隊員達は、傷病者達を落ち着かせつつ可能な限りの対処をし、あくまでも沈着冷静な姿勢に徹します。……そこで、そのような救急車の様子から思い出すことどもを、自身の記憶整理も兼ねて書き記してみたいと思います。多少長くなりますがお付き合いください。もう30年以上も前のこと、今は昔の話です。
 当時建設現場の事務担当だった私は、いつもならば会社の寮の近くにある私鉄の駅から電車通勤をしていたのですが、その日はある工事の竣工引渡日だったので、直接引渡場所へ向かおうと、いつもの電車ではなくてバスを利用することにしました。竣工書類の入った手提げ袋を片手に持ち、駅近くにあるバス停まで歩いていくと、まだ誰もバス停には並んでいません。「一番乗り」ということで、バス停の先頭に立ってバスを待ちました。通勤時間帯の故か、バス停の面する国道は、どちら方面に向かう側も大渋滞でしたが、元々時間に余裕をもって出かけたので、多少の渋滞は気になりませんでした。そうこうするうちにバス停には何人か通勤客がやって来て、私の後ろに列を作り始めました。視線をその通勤客達から少し遠くの方へ向けると、我々が乗る予定のバスが接近して来るのが見えました。バスは渋滞する国道を少しずつながら前へ進み、こちらへ徐々に近づいて来ます。
 その時、バスが来る車線とは反対側の車線、つまり私の目の前にある車線の向こう側にある車線をゆっくりと走って(動いて)いた軽乗用車が、右折して対向車線(私の目の前にある車線)を横切り、バス停のすぐ後ろにある駐車場へ入ろうとしたのです。渋滞中ながらも車の流れはありますので、それに伴って車と車の間が少しばかり空いたその瞬間を狙って軽自動車は右折、加速して一気に件の駐車場へ……と同時のこと、我々が乗ろうとしているバスと歩道の間の白線上を1台のバイクが横着して通り抜けようとしていたのです。軽乗用車からすれば、そのバイクはバスに隠れて見えなかったことでしょう。私は直感的に「あっ、軽自動車とバイクがぶつかる!」と思いました。
 案の定、両者は衝突。その衝撃によりバイクはバス停の方へと飛ばされてきたのです。まるでストップモーションのように見えました。「もうこれで一巻の終わりか!」と瞬時体を小さく丸めて身構えました。そのすぐ後、右膝に何か小さな部品が軽く当たったような気がしました。しばらくしてから、目を瞑ったまま一呼吸し、先ず体をモゾモゾと動かしてみます。どこも痛いところはありません。膝もまた然り。恐る恐る目を開けました。ズボンをめくり上げて右膝を見てもカスリ傷ひとつ確認できませんでした。ホッとして自分の右側に目を向けました。驚きました。私の後ろに並んでいた人々が皆横になって倒れているのです。中には頭から血を流している人もいます。視線を反対側へ向けると、バス停の看板は彼方へ飛ばされて道路の真ん中に転がっていました。さらにバイクはその運転者もろとも、もっと遠くへと飛ばされており、運転者は道路上に倒れたまま動いていません。「これは大事になったぞ!」。ただでさえ大渋滞の国道は大混乱に陥りました。この事態を目撃したご近所の方がすぐさま救急車を呼んでくれました。複数の救急車に前後して、勿論パトカーも到着しました。交通規制が敷かれる中、負傷者は次々と救急車へと運び込まれます。結論から言うと、不幸中の幸い、この事故で死亡者は出ませんでした。(後日談ながら、バイクの運転者は骨盤骨折の大怪我だったそうです。)騒然とする中、軽自動車はとりあえず駐車場へ入ってきており、その運転者は顔面蒼白となって立ち尽くしていました。若い女性でした。
 救急車へケガ人を乗せ、病院へ搬送する……しかし、私にはこれと言ってケガはないので「もう行っていいですか?」などと救急隊員や警察官に聞くと、「関係者は全員病院で診療を受けてもらいます。あなたは軽傷者用の救急車に乗ってください」とのこと。それで乗ったものの困ったことがあります。今日は竣工引渡の日で、しかも竣工書類は私が持っています。少なくともそれを誰か現場社員に病院まで取りに来てもらわなければなりません。ところが当時はポケベルの時代です。どうやって現場社員に連絡を取ればよいのか困り果てていると、目の前に緊急用固定電話が設置されているのに気付きました。当時としては珍しい装備です。そこで私は図々しくも「ちょっとだけ使わせてもらっていいですか?どうしても連絡しないといけないことがありまして」などとお願いしてみました。すると救急隊員は怪訝な顔をしながら仕方なしに使用許可してくれました。早速に現場社員へ業務連絡。先ず事故に遭ったこと、今W病院へ搬送中であること、すぐにW病院まで竣工書類を取りに来てもらいたいこと、また何より竣工引渡のお目出度い日なので、くれぐれも私が事故に遭ったから参加できないなどと言わないようにすること等々を手短に伝えました。しばらくして救急車は病院に到着し、次いで到着した現場社員に竣工書類を手渡せました。後で聞くと、工事の竣工引渡は無事完了したとのことで、その点ホッと安堵したのでした。
 ケガの程度に応じて診療が進められているようで、私が呼ばれる順番は当然最後のほうでしたし、これまた当然のこと、医師から何らの処置も受けることはありませんでした。それではもう会社へ行ってよいかというと、警察の方から「これから署で事故発生状況について皆さんからお話を聴きます」と伝えられたため、A警察署まで行くことになりました。そこで自分の記憶している限りをお話ししましたけれども、存外その記憶が曖昧で、例えば「バイクは時速何キロぐらいで走っていましたか?」などと尋ねられても、そもそも当時は余り自動車運転していなかった自分からすると「ハテ?」と首を傾げてしまうような有り様で、これでは大してお役には立てなかったに違いありません。ようやくにして会社へ戻ると、今度は会う人会う人皆に事故の顛末を説明しなくてはなりませんでした。朝バス停に立った時から今この場所に至るまでの話をです。しまいにはテープにでも録音して聞いてもらおうかと考えたぐらいです。とにもかくにもドタバタの1日は終わりました。
 翌朝のこと、地元紙に目を通すと、これまたびっくりしました。「A区で乗用車とオートバイの接触事故。オートバイ運転手ほか会社員など負傷」という記事が掲載されており、その会社員として私の名前が出ているのです。何とも複雑な気持ちになりました。そんな気持ちになった日の夕方、軽乗用車の運転者とその母親が菓子折り持参で私のもとを訪れました。負傷者全員に会い、平身低頭して謝罪しているのでしょう。私は「何のケガもないんで、特に気にしてませんから」と呑気に応対したため、母娘は少し呆気に取られていたようです。
 数日後、診療完了証明書が必要とされたため、それを発行してもらうべく再びW病院へ行きました。待合室で待っていると、隣に座っている女性から声を掛けられました。「あの時、バス停にいらっしゃった方ですよね?」。見ると、手足だけでなく顔にも包帯が巻かれていました。「この事故は労災になるんでしょうか?」と問われたので「通勤途上ですから恐らく労災になるんじゃないでしょうか」とお答えしました。続けてその女性が言うには「顔にも傷を負いましたし、手足にはまだガラス片が残っているんです。私は絶対に許しません」。何とも重苦しい雰囲気に包まれました。確かにあの時バス停に立っていたのは私ひとりではなかったのです。私は事故についてあまりにも軽く考えていたようです。負傷者本人とその家族・関係者の深い悲しみと底知れぬ怒りに触れたような気がして、私はしばらく返答に窮しました。何とか「お大事にしてください」とだけお伝えし、W病院での用事を早々に済ませてその場を去りました。
 あの時バス停で並ぶ順序が2番目以降だったらどういうことになっていたでしょうか。あまり「もしも(if)」を問うても詮無いのですが、今それを問うと背筋が凍る思いがします。紙一重の違いがまさしく運命の岐路にあったのでしょう。その後の人生を大きく左右する岐路です。一方で好運という言葉に酔ってばかりはいられない気もします。もしかしたら我々の人生そのものは、ほんの僅かばかりの誤差の範囲内に激変する要因が潜んでいるという「際どさ」の連続であるのかもしれません。分かり易く言えば、あの朝のバス停での出来事のようなことが、実は毎日立て続けに発生しており、結果として無事難を逃れて現在に至ることになるのか、はたまた難に直面して苦悩せざるを得ないことになるのか、どちらかの境遇に身を置くことになるのであろうということです。でも、もっと言うならば、これまで難を逃れ得たとしても、行く先そのままという保証はどこにもなく、また難に直面したとしても、次は別の難を逃れ得るかもしれないのです。まさに「人間万事塞翁が馬」、「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」、要は先のことは計り知れないということです。
 ただ、それと同時に想起すべきは、こうした人生の途中において、禍害や災厄、危難の方へと傾斜しかけた状態に少しでも平衡を回復させようと懸命になっている人々がいるということです。先のことを語るのではなく、まさしく今この時点の現状を打開すべく活動する人々です。上述の救急車の例で言えば、負傷者本人は何とか健康を取り戻そうとし(たとえ自死を企てたとしても、無数の細胞の集合体である「生物」としては「機能継続」を前提としているはずです)、付き添い者も本人の快復を願い、救急隊員は許される限りの初期対応に全力を尽くしています。生と死の狭間で、ということは人間の幸不幸を左右する瞬間に、一挙手一投足、全身全霊、一心不乱になって、いのちに光を取り戻そうとしているのです。それぞれに立場や役割は異なるので歩む道は別々ですが、目指すべき頂(いただき)は同一です。ひとつところを目指して各人が懸命になる空間、その一例が救急車なのでしょう。
 個々人が極端な自己中心主義に陥り、「何でもあり」が称揚される世の中にあっても、時に他者と頂を同じくして懸命に歩み、そこで集合して繋がろうとする姿勢が僅かばかりでも垣間見えたとするならば、我々は人として少しだけ胸をなでおろすことができそうです。
 さて、今期第73期も残すところあと1ヵ月となりました。皆さんそれぞれは、建築・土木・事務管理、内勤・外勤を問わず、それぞれが任された持ち場で日々懸命に仕事に取り組んでいることと思います。その今期の締め括りを、工程・品質・原価・安全いずれの管理面からしても上首尾のうちに終わらせるべく、最後まで油断大敵、基本を忘れず、為すべきことを為し尽くす姿勢を維持しましょう。その上で、よい形で来期のスタートを迎えられるようにしたいものです。
 建設業を取り巻く環境が一層厳しさを増しつつある中にあっても、我々は1歩でも2歩でも前へ行けるよう努めていきたいと考えます。頂を同じくし、ひとりひとりが繋がり合って歩を進めていきましょう。ご安全に。

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