IWABEメッセージ

Messages

第118回「女夫饅頭」

 「半田雁宿餅」は、かつて半田の老舗和菓子店・松華堂さんで作られていました。残念ながら、日持ちとコストの問題で長らく製造中止となっていたのですが、恐らくのところ現存する資料と記憶を頼りに、老舗の矜持と執念をもって、最近その復活が試みられたのです。ありがたいことに、松華堂さんが復活した「幻の菓子」を会社までお持ちくださったので、好運にも試食に与ることができました。柔らかな求肥の皮と繊細な餡の味、全体として誠に上品で贅沢な菓子であるという印象を受けました。それでも松華堂さんは「記憶では、もっと求肥は柔らかかったはずです。さらによいものにしてみせます」というのですから、プロフェッショナルとしての飽くなき追求心をその言葉の内に垣間見た思いがしました。今は無くなってしまった銘菓を復活させる試み、その困難に挑んだ人々……私はそうした人々に奈良でも出会いました。復活した菓子の名は「女夫饅頭(めおとまんじゅう)」です。
 本居宣長に『菅笠日記(すががさのにき)』という書があります。吉野の花見に出かけ、途中奈良の名所旧跡を訪れた際の地理・歴史に関する紀行と考証の書です。そこに「くろざきのまんぢう」なる菓子の記述が出てきます。初瀬街道の出雲村・黒崎村を歩いたときのこと、その辺りは雄略天皇や武烈天皇の宮々があったところで、宣長さんたちも大変心を惹かれたのでしたが、その黒崎では家々に饅頭を作って売っていたので、それら古代の宮々のことを尋ねがてら、年老いた主人がやっている店を見つけて、そこで食べようと立ち寄った、というのです。その『菅笠日記』成立から80年ほど後に出版された『西国三十三所名所図会』にも「黒崎の饅頭」が登場します。挿絵には、常安屋という饅頭屋が描かれています。長谷寺から半里(約2キロ)ほど行ったところに黒崎村があり、そこには饅頭を二つ合わして名物「女夫饅頭」として売る商家が多いと説明されています。併せて柚栁亭翠鶯の一首が添えられており、可笑し味が加わります。「黒崎といへども白きはだとはだ合わせて味(うま)ひ女夫饅頭」。「くろざきのまんぢう」こと「女夫饅頭」を提供する常安屋の店奥には饅頭を蒸すためのかまどがあり、大きな炎が立っています。また、かまどに載せられた蒸籠(せいろ)からは湯気が吹き出している様子も見られます。街道を旅行く人々に蒸し立てアツアツの饅頭を食べてもらおうという心意気が伝わってくるようです。勿論、竹皮に包まれた「女夫饅頭」をお土産に買って帰る人も多かったことでしょう。古くから伝わる「名物」は、香りと味で人々を惹きつけ、しばしの間旅路に休息を与えていたに違いありません。
 その名物「女夫饅頭」が黒崎の地から姿を消しました。先の大戦の際、物資統制等が原因で、すべての店が廃業してしまったのです。その後、時間の経過とともに、饅頭の作り手はおろか、それを食べた覚えのある人々も次々と鬼籍に入っていきます。もし「女夫饅頭」を復活させるのならば、今がギリギリのラストチャンスになる……。そこで、桜井市にある印刷会社(共栄印刷、現やまとびと株式会社)の社長・堀井清孝さんが、まさに黒崎出身であり、さらには大和の国の歴史文化への熱い思いもあって一念発起、春日大社権宮司・岡本彰夫さんの企画、奈良市の和菓子屋・樫舎さんの製作・協力を得て見事復活に成功したのでした。情報によると、その菓子は長谷寺近くの「大和隠国(やまとこもりく)の里・やまとびとのこころ店」で販売され、店内で食せるとのこと。宣長さんが口にした菓子としては「へんば餅」が有名ですが、『菅笠日記』に登場する饅頭が現代に復活したとなれば、是が非でも一度食べてみたいと願うのは人情というもの。それでは奈良へいざ行かん。
 長谷寺周辺は大変な混雑で、どうにか駐車場を見つけて目的のお店まで歩いていくことにしました。趣のある通りに建つ趣のある店舗。昔は柿屋だった古い建物を改修したらしく、柱・梁には柿渋が塗られているといいます。店内には数名の先客があり、お土産を品定めしているようでした。奥の喫茶コーナーには誰もいなかったので、店員さん(後で知ったのですが、その方は社長夫人でした)に一声かけて着席します。本来は予約していくべきだったのでしょうが、何度試みても電話がつながらなかったのですから仕方ありません。先ずはお品書きを見て「女夫饅頭とお抹茶セット」を頼み、併せて持ち帰り用(ひとり3個まで)を注文しました。私の後にも何人かのお客さんが「女夫饅頭」を買い求めに来ましたが丁度売り切れとなり、店の入り口にはその旨貼り紙がされました。今回は実に運がよかったのです。
 それで「女夫饅頭」。小さな蒸籠に入れて蒸し立て状態で運ばれてきます。蒸籠の蓋を開けると、少し大き目なマカロンのような形の饅頭が現れます。二つの饅頭を合わせてひとつにした姿で、饅頭と饅頭の間には餡がはさまれています。上段は白い薄皮の上用饅頭で中身はこし餡、下段は紅い薄皮の酒饅頭で同じく中味はこし餡、二つの饅頭ではさまれた餡はつぶ餡という構造になっています。饅頭を箸で皿へ移し、菓子楊枝で真っ二つに切って断面を見ると、餡が3層になっているのがよくわかります。温かく蒸されているためか、酒饅頭の香りが漂う上に、食感も甘さもやさしい。それに紅白2色で縁起よく、何より見た目が可愛らしい。上述の翠鶯の歌では「白きはだとはだ」と詠まれていましたが、実は昔から紅白2色だったようです。また、当初はすべてが酒饅頭だったのですが、それで蒸すと酒の香りが強くなりすぎるので、上段の饅頭は上用饅頭に変更したといいます。何故上段の白い饅頭を上用にしたかというと、白い皮の酒饅頭は、時間とともに黄色く変色してしまうので、下段の紅色の饅頭の方を酒饅頭にしたと説明されました。饅頭自体の大きさは、昔はもう少し大きくて小判大だったということですが、現代人の食文化や嗜好にサイズを合わせ、その大きさに適した蒸籠を特注したようです。材料・製法にとことんこだわり、高品質の菓子を現代に復元しようとする職人気質、妥協を許さない厳しくも真摯な意志を感じました。とにかく美味しゅうございました。ごちそうさまでした。
 食後、店員の方とあれこれお話しすることができました。その話によると、「女夫饅頭」の復元に当たっては、何と言っても依るべき資料が少なく、わずかに記憶に残る高齢者がいるだけだったとのことで、以前に桜井市が饅頭復活を企画したことがあったものの、その時限りの話で、残された「木型」も所有者が処分してしまいました。(「木型」が何に使われたのかは不明です。)また、最近になって地域の小学校でも饅頭復活にチャレンジしたことがありましたが、なかなか思うように作業が進まず、皮が硬くなったり、パサパサになったりしてうまくできなかったようです。丁度時を同じくして、印刷会社の堀井社長も復活プロジェクトを始動していました。それが成功して現在に至るのですが、今では小学校へ出前授業に出かけ、5年生に饅頭の歴史や作り方などを教え、実際に食べてもらっているとのことです。真剣に授業を聴き、多くの学びを得た児童達から寄せられたお礼状や感想文のつづりを店内で読むことができます。ところが、その体験談を子供達から聞いたはずの親御さん達が興味を抱いて店を訪れたというようなことはあまりなかったといいます。案外地元の人の関心は低く、地元外の人の方が高いのでしょうか。消えた菓子を復活させる難しさは、技法やコストの問題だけでなく、世間の無関心にも起因するのかもしれません。そんな状況では復活後の存続も至難でしょう。それに街興しに投ぜられる公的なヒト・モノ・カネには限度があります。だからこそ、一民間人である、黒崎出身の社長が、情熱と執念と郷土愛と使命感を原動力として、商いを通した地域文化振興に尽力されている姿を見るにつけ、歴史の中に生きるわれわれひとりひとりは、文化を伝え続けることの意義を改めて深く認識しなければならないのでしょう。一過性の話題作りではなく、商売として持続させる方法の模索には、尽きせぬ苦闘が伴うものであることも忘れてはなりません。悲しいかな、そのような苦闘に苦悩する有志の者に、周囲の人々が常に声援を送っているのかと言えば、そうとも言い切れないのです。動く人よりも動かぬ評論家の声が大きくなるのが世の常です。「女夫饅頭」にしても、建設的な提言ならともかく、為にする批判や文句が、時に無関心層の振りをしつつ湧き出てくるというのですから厄介極まりありません。「女夫饅頭」こそは何としてでも後世へ伝え続けてもらいたいお菓子です。気まぐれによる等閑視、嫉妬や冷やかしでしかない雑音を乗り越えて、復活した「女夫饅頭」を再興し、名物としてその名を全国にとどろかせてもらいたいと願うばかりです。
 よく「創業は易く、守勢は難し」と言います。始めるのは簡単でも継続・発展させるのは生半ではないという意味です。ある時に生起し、一定期間世の中に存在しても、結局衰滅してしまうものは存外多いものです。しかも、かつて存在していたからと言って、それを後年再生・再現することには別の難しさが伴います。つまり、無きところから自在に何事かを起こすのではなく、以前に存在していた事物の「型」を可能な限り寸分の狂いもなく復元させなければならないのであり、たとえ資料や記憶が残存していたとしても、かなりの労苦なくしては成し遂げられぬ作業になるでしょうし、資料も記憶も無かったとしたならば復活なんぞ夢のまた夢、困難を極めるに違いありません。また、仮にその事物を復活させることができたとしても、従前それが存在していた時に直面したのと同様な障害に再び向き合わざるを得ず、時代状況の変化を踏まえた新しい対応を迫られることになるでしょう。何であれ、生者必滅、会者定離という世の理(ことわり)を自覚しつつ、有限の「限」をいかに先延ばしできるのかの涙ぐましい格闘に、人々は今日も変わらず明け暮れているということです。
 そうであるとしても、悠久の歴史の刹那に生きることの意味を自覚し、その歴史の流れのうちに浮沈した人々への敬愛と、これから浮沈するであろう人々への慈愛の心を持って、人間の営みの素晴らしさを伝え続けようとする挑戦は、何と気高く、誇りに満ち溢れたものでありましょうか。その思いは、まるで「女夫饅頭」の風味が瞬時に口中に広がったように、私の心の中に沁み渡ったのでした。
 さて、創業100周年。100年目からの第一歩を踏み出し始めました。先人の思いを背負い、または吸収した上で、正面を向き、自分で考えて歩を進める。自分で考えるには、今を共に生きる仲間の知恵や助言を頼り、時には仲間へ知恵や助言を授けつつ、熟慮の上に熟慮を重ね、最終的には果断に決断、悔いなく実行する。これは当然、無責任な見切り発車や近道・横着行為を意味するものではありません。よく考え、自分で納得し、他者を納得させて、堂々と行動に移すということです。言うまでもなく、何事につけスケジュールとコストへの配慮は不可欠です。
 この道はいつか来た道……ではありません。より高き所を見据えて確実に前進しているはずです。顔を上げ、高い目標に向かって、先ずは今日の一歩を踏み出しましょう。その一歩が次の里程標へとつながっていきます。
 確かな一歩のためにも、先ずは健康管理と一呼吸。ご安全に。

岩部建設株式会社 〒470-2345 愛知県知多郡武豊町字西門74番地 TEL 0569-72-1151

© 2006 Iwabe Corporation