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第121回「しらやまさん」
北陸本線を走る特急しらさぎ号の車窓からは、遥か遠くにそびえ立つ白山連峰の威容を望むことができ、何よりその迫力あるスケール感に圧倒されました。雪をまとった峰々は、大自然の豊かさと厳しさを同時に体現しており、私はその姿に畏怖の念を覚えるとともに、翌日の入学試験に臨むにあたって一層身の引き締まる思いがしたのでした。
白山(はくさん)は、北陸三県(昔の加賀・越前・越中)と岐阜県(昔の美濃)にまたがって位置する活火山で、その最高峰である御前峰(ごぜんがみね)の標高は2702m、富士山、立山と並んで日本三霊山のひとつに数えられています。白山はまた信仰の対象でもあるのです。上古より白山の神の神霊が鎮座する霊峰として仰がれ、男女を問わず一切の入山が許されない神域とされました。白山信仰は、白山という「山」自体を神として崇拝する原始山岳信仰が起源となり、崇神天皇の御代には遥拝所が設けられ、そこで祭祀が行われていたといいます。ここに白山神社の原初的な形態を見て取ることができます。奈良時代になると、越前の修行僧・泰澄(たいちょう)大師が白山に登って開山しました。その後、特に平安時代からは「神仏習合(神道と仏教の融合)」という考え方が広まり、「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ。神は仏[本地]が化身して現れた[垂迹した]仮の姿であるとする思想)」が世の中に浸透していきます。仏が化身した神を「権現(ごんげん)」と言うため、白山の神は「白山妙理権現」とか「白山妙理菩薩」などと呼ばれることにもなりました。この場合の本地は十一面観音菩薩です。もっとも、幕末から明治にかけて「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」、つまり仏教を廃して釈迦の説く仏法を棄てるという動きが活発になり、また明治政府も神仏分離令を出したため、神と仏、神社と寺は明確に区別されることになったのです。これにより、白山信仰においても、神宮寺たる白山寺は廃され、仏像等の仏教文化財は、現在の白山市にある林西寺の白山本地堂などに安置・保存されるに至ったのでした。
このような経緯をたどる白山信仰の中心拠点となるのが、全国に所在する白山神社の総本社であり、一宮制度により「加賀一ノ宮」と定められた白山本宮・白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)です。人々は白山と神社に親しみと尊崇の念を込めて「しらやまさん」と呼んでいます。『古今和歌集』には「きえはつる 時しなければ 越路(こしじ)なる しらやまの名は 雪にぞありける(雪がすっかり消えてしまう時がないので、北陸道にある「しらやま」の名前は雪に由来するものだったということです)」と詠む凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌がありますし、『紫式部集』にも「名に高き 越のしら山 ゆき馴れて 伊吹の岳を なにとこそ見ね(北陸に居た時に見慣れた有名な「しらやま」の雪に比べれば、伊吹山の雪なんぞ物の数ではありません)」という式部の歌があります。他にも多くの和歌がありますが、「しらやま」という読み方、さらには「しらやまさん」という呼び方には、自らのうちに神々を畏敬する篤い信仰心を宿す人々の素直な感情の発露が見て取れます。
「しらやまさん」の歴史等については、ここまで大分端折って紹介してしまいましたが、詳しくは(正確には)同神社発行の『白山比咩神社略史』をご一読いただければと思います。同書によれば、霊峰・白山を御神体山と仰ぎ、白山の神・白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)を祀る白山社や白山神社は全国に三千余社あるとされます。加えて、「白山」という地名の場所も国内各地に見られ、例えばこの地元でも白山町に白山神社があります。孝徳天皇の御代(645~654)のこと、その土地の開拓者で白山の神を崇敬する者が加賀の白山比咩神社へ参詣して分霊を勧請、現在地に奉祀したのが始まりとのことです。また、東京に住んでいた頃、よく都営三田線を利用していましたが、その沿線には文京区白山という地があり、白山駅の近くには白山神社が鎮座します。「文京あじさいまつり」で有名な神社です。天暦2年(948年)のこと、白山比咩神社を本郷に奉勧請、巣鴨原(小石川。加賀国「石川」郡から取って「小石川」と言う)へ移転したのち現在地へ遷ったといいます。
ところで、白山の神、つまり白山比咩大神とはどのような神なのでしょうか。白山比咩神社だけでなく、全国にある白山神社の多くに祀られている神は、菊理媛神(くくりひめのかみ。菊理媛尊・菊理姫命[くくりひめのみこと]とも言う)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱の神々で、この菊理媛神こそが白山比咩大神であるとされています。ただ、何故菊理媛神が白山比咩大神なのか、またいつからそのようになったのかについては実のところよくわかっておらず、まさしく謎に包まれています。謎と言うならば、もっと謎なのが「菊理媛神とはいかなる神か」についてです。この神は『古事記』には登場せず、『日本書紀』においてのみ触れられています。しかも『日本書紀』の正伝(公認ストーリー)中ではなく、正伝の後に付記・列挙される複数の異伝(「一書」。「あるふみ」と読む)のうちの第10番目のものにほんの一瞬だけ登場するのみなのです。先ずは菊理媛神の登場場面について多少アレンジを加えながら要約して紹介してみることにします。
一書によると「伊弉諾尊は、妻の伊弉冉尊が火の神を生んだことに起因してお亡くなりになったために大変嘆き悲しまれ、もう一度妻に会おうと黄泉(よみ)の国(死後の世界)まで出向かれたのだが、腐敗して変わり果てた姿を見られてしまった伊弉冉尊は大いにお怒りになり、慌てて逃げ帰ろうとされる伊弉諾尊を追いかけて行かれた。丁度あの世とこの世の境目にあたる泉平坂(よもつひらさか)で伊弉諾尊と伊弉冉尊が相争われた時に、伊弉諾尊は『始めにあなたのことを悲しみ偲んだのは私の弱さだった』と仰った。そこで泉守道者(よもつちもりびと。黄泉の国の入口への道を守る者)が伊弉冉尊の次のような言葉を代わって伝えた。『わたしはあなたと既に国を生みました。どうしてこれ以上生むことを求めるのでしょうか。私はこの黄泉の国に残るので、あなたとは一緒に行けません』。この時に菊理媛神が申し上げられることがあった。それを聞かれた伊弉諾尊はおほめになった」。
これだけです。泉守道者は泉平坂あたりに居ても不思議ではありませんが、菊理媛神はいつからどういう理由でその場に居合わせたのでしょうか。元々泉平坂に居る神なのでしょうか。それに、そもそも何を申し上げられたのでしょうか。全く不明です。先ほど菊理媛神を「くくりひめのかみ」と読むと説明しましたけれども、その読み方すら本当のところはよくわかりません。古くは菊を「くく」と読んだらしく、それ故に菊理で「くくり」と言うのかも知れません。ばらばらになっているものをひとつにまとめることを「括る」とも言います。また、菊理を「ココロ」と読むという見方もあるので、何らかの心持ちを表現しているとも思われます。ともかくも菊理媛神は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の間を取り持って諍いを止めさせ、仲直りの仲介役を果たしただけでなく、黄泉の国の「ケガレ」を祓う役割を担ったと考えられますので、事態の解決や和解、清浄化を実現する神なのではないかという想像はできます。(だからこそ、縁結びや災難除けの神としても尊崇されているのでしょう。)
ここで、もうひとつ別の読み方に注目します。それは菊理をそのまま「きくり」と読むという説なのですが、それによると「きくり」は「きくきり」から来ているというのです。つまり、伊弉諾尊と伊弉冉尊双方の言い分をしっかりと「聞き切り」、その上で何事か考えを述べて相手を納得させ、賞賛を得たのが「きくきりひめ」こと「きくりひめ」であったという見方です。これから先の厳密な研究は専門家に任せるべきだとして、もう少し考えてみたいのは、相手の話を「聞き切る」ということの意義についてなのです。
ただ何となく「聞く」というのとは違いますし、当然のこと馬耳東風を決め込むなどということとは最も縁遠い姿勢です。しっかりと相手の主張に耳を傾け、それを途中で遮ることなく最後まで徹底して聞き、その言わんとするところを把握した上で、自らと社会の規準に照らし合わせて見解をまとめ、相手に理解されるよう上手に説明・説得することにより、「納得」をもたらそうと努める……これは言うまでもなく一方的な雄弁でもなければ、当世流行りの論破でもありません。相手の主張を深く知り、対話を通じて了解や合意を導こうとする営みです。別の言い方をすれば、相手との共同作業を通じて何事かを見出し、何処かにある目標地点まで共に到達しようとする試みなのです。この試みの起点にあるのが「聞き切る」という姿勢に他なりません。私が感心するのは、こうした姿勢をもって事態の打開、融和、より高い次元への上昇を意図し、実現しようとする神が日本神話のうちに存在するということなのです。もしかしたら、日本人が古くから有する心持ちには、本来「菊理媛神的なもの」が備わっているのかもしれません。ただ残念なことに、どうやら最近の我々はそれを忘却してしまっているようです。忘れているだけならまだ救いがありますが、まさか心のうちから消滅してしまってはいないでしょうか。杞憂であることを祈るばかりです。
白山の「白」は降り積もった雪の色そのものです。それはまた、澄み切った清らかな心のありさまをも表しています。嫉妬、打算、怨念、虚栄などの「いやらしさ」や「ケガレ」とは全く無縁で純真無垢な状態です。さらには、冷静で落ち着いた思考のもたらす平衡や安定を想起させる色であるとも言えます。雪が陽光を浴びて照り輝き、一層白さが際立って見える霊峰の姿容に人々が自らの心の状態を結びつけることができた時こそ、真に美しく、かつ誇らしいということがどういうことなのかを知る瞬間となるのでしょう。
霊峰の威容は、自然界と人間社会における「ある姿」と「あるべき姿」を同時に伝えてくれています。それは菊理媛神の神威でもあり、我々はその神威からとこしえに伝言を受け続けているのでしょう。「聞き切るべし」。確かに「聞き切る」ことを実行するには様々な困難が伴います。しかし、「聞き切る」ことは神のみがなし得る「神業」ではないはずです。菊理媛神は人間にひとつの範を示し、それに沿った振る舞いを求めていると捉えてもよいのではないでしょうか。こうした解釈に至るのも「しらやまさん」のお導きでしょうか。
さて、既に第75期はスタートしています。各人が持てる力を遺憾なく発揮し、その力を会社全体で縦横に接続することにより、一層大きな力「総合力」を得て目標へと邁進していくことが常に基本中の基本となります。その「総合力」の源泉、一人一人の力を最大化するためには、何よりお客様の言葉、協力業者の言葉、ご近隣の言葉、その他仕事に関わるあらゆる人々の言葉を聞き切って理解し、適切に応答できるよう心構えしておかなければなりません。相手から投げられた球をしっかりと受け止め、その球を確実に返球するということ……実は球を投げる方も返球する方も同様に相手のことをよく知っておく必要があります。相手のことを可能な限り知るべく情報を集め切り、それを反映して的確に送球する。相手の心に響く振る舞いには念入りな準備が不可欠なのです。
真白き頂こそ真に光り輝く……まばゆい輝きの背景には深い相互理解があるのでしょう。今期も相互注意、相互配慮、相互理解を大切にして。ご安全に。