IWABEメッセージ
第24回「そよ風に聴く」
このたび大阪府北部で発生した地震により、お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げます。また、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
当社のお客様が、京都で代々呉服商を営んでいた商家の住宅を取得され、往時の姿に復原した上でそこに支店を開設されました。下京区船鉾町に位置するその京町家は、築150年の北棟と築100年の南棟の2棟から成ります。敷地面積は200坪、間口7間、奥行き30間の2階建家屋の重厚な姿は、まさに堂々たる商人屋敷のそれであり、また同時に室内は、上品かつ繊細、京文化の優美さを湛えた静謐なる空間、穏やかな日常を感じる佇まいが見事に残されています。この職住一体型の歴史的建築物は、現在では京都市指定有形文化財に指定されているとのことです。
お披露目会に参加させていただき、建物内外を隈なく見学することができました。いくつもの清潔な座敷、広縁伝いに眺められる手入れの生き届いた庭園、かつての繁盛を偲ばせる大きな土蔵、商家独特の建具細工等々、随所で「和」が体感されます。
邸内を一巡した後、参加者全員にお茶と和菓子が振舞われました。ゆらめくガラス戸は少し開けられ、やわらかな日差しに鮮やかな新緑が照らされている御庭の方から感じるそよ風に、賑やかで活気溢れる店先で交わされたであろう商人達の声だけでなく、この町家を中心にして繰り広げられた数多の人生模様をさえ、ほんの刹那として飲み込んでしまう悠久の歴史から語りかけられる「声」までも聴こえたように覚えました。
歴史的建造物を保存したり、再生して活用しようとする際には、当然の如く様々な厳しい法規制をクリアするとともに、複雑な行政手続を粘り強い交渉で乗り越えなければならず、また何より熟練の職人集団の磨き抜かれた技術が必要不可欠となります。
当社もかつて豊田市のN邸再生・増築工事を施工したことがあります。戦後間もない頃に苦労して集められた良質の材木を使い、大工の丁寧な仕事よって仕上げられた日本家屋は、施主による強い思いの結晶で、今現在考えられるあらゆる技術・ノウハウを駆使してでもその思いを後世に伝えることこそが現オーナーや設計者・施工者に課された使命である- そうした認識のもと、時に屋根裏、時に床下に入り込んで、埃まみれ汗まみれになりながらも現行法規適合の再生を実現すべく格闘したものです。
昔を今に伝えるということ、先人達の偉業や文化を伝えるということ、伝統を現代に息づかせるということ、これらは大変難しい事柄です。「伝統」は英語でtraditionと言いますが、ものの考え方、行動様式、社会制度などで「世代を超えて受け継がれてきたもの」という意味があります。世代を超えて受け継ぎ、また受け渡していくことの意義とは何なのでしょうか。別の問い方をすれば、伝統なり文化なりを活かし続けるのも途絶えさせるのも、今を生きる我々の勝手次第なのでしょうか。
結論的に言えば「否」でしょう。明らかに我々は、先人達の、場合によっては将来に生きる人々の意志や心持ちを顧慮した判断をしなければならず、無論何らかの変化を生じさせなければならない事態に直面することが不可避であるとしても、そうした意志や心持ちへのリスペクトを失ってはならないのです。過去を現在につないで伝えることは我々の義務であり、将来に向かってそれに変化をもたらすことの責任は我々にあります。問題は、その義務と責任を自覚して事に臨んでいるかどうかです。
会社にしても同じことです。その会社が現在の構成者たる我々だけによって作られたものではないことは明白です。創業来ひたむきな熱意と弛まぬ努力をもって会社の発展に参与し貢献してきた数かぞえ切れない人々が積み重ね高めてきた信用、信頼、資産、ノウハウ、それに人財。これらを毀損せずに、少しでも良き方向へと成長させていくことが、「今」会社に携わる我々の使命なのであって、構成する各々がその一翼を担っているのです。
我々が先人達の意志や心持ちを大切にしなければならないのと同じように、その先人達もさらなる先人達の意志や心持ちを大切にしなければならなかったはずです。避けられぬ一定の方向付けがなされる中で責務を負いながら、しかしそれでも自分なりに考え、苦悩と苦闘を繰り返して懸命に生きていたに相違ありません。そこには、「自分の時代は自分の勝手次第だ」などという発想が成立する余地すら無かったでしょう。つまり、先人達が背負って歩んできたスタイルは、現代の我々にも、また未来の人々にも当然の如く求められ続けるということなのです。しかし、この事態は、個々人の任意性の剥奪でもなければ、自由の制約と単純に言い切れるような代物でもないのです。
我々は否応なしに、即ち宿命的に自らの立ち位置を定められ、過去からの精神、思想、態様などの様々な事柄から組成される激流の中にあります。それを認め、自らの知識技量や創意工夫で見事に泳ぎ切ってみようと企図し、実践してみるところに、時代を生きる者の本当の自由があるのではないでしょうか。まさにかくなる状況の連続こそが生活であり、歴史に他なりません。これは流行りの人権論や法律論とはまた別の角度から考えなければならないことのように思えます。
都会の中心部にありながらも、その喧騒とは全く隔絶した世界。時代が付いて輝く柱や梁を眺めて、その場の空気を体感していると、かつてここに住んできた人々の息遣いと、今佇む人々の息遣いとがシンクロし、さらにこれから住まうことになるであろう人々の息遣いも次第に重なっていくような感覚にとらわれました。その瞬間、歴史や伝統の奥深さと重みを厳然として感知し得たと言えるのかもしれません。
夏の祇園祭では面する通りを船鉾が巡行するそうです。華やかで情趣溢れる瞬間でしょう。想像すると目に浮かんでくるようです。日本のよき風情の一例でしょう。
今月で当社第66期末を迎えます。ご家族も含め皆さん本当にご苦労さまでした。心より感謝申し上げます。来期も健康に留意の上、安全最重視で一致協力して仕事に取り組んで行きましょう。
暑い日々が続きます。ご自愛のほどを。ご安全に。