IWABEメッセージ
第38回「ラジオの声にまどろんで」
電源を入れてダイヤルを回していると、耳障りな雑音や奇妙な甲高い音が入り乱れているうちに、突然整然として明瞭な音声が聞こえてきます。それは、時にアナウンサーの声であったり、軽快な音楽だったりする訳ですが、多くの人々にとって、ラジオは日常生活に欠かせない機器となっており、時に心の安らぎを与えてくれる小さな「友」の役割を果たしています。ネット社会真っ只中にあって、敢えて今回は、この身近な「友」、ラジオの思い出に触れながら、あれこれ語ることにします。
小さい頃、就寝前に父がラジオをつけていました。どの局の放送だったか、萩本欽一がパーソナリティを務める『欽ちゃんのドンといってみよう』という番組があり、色々な歌謡曲の歌詞を切り取って笑い話を作る「レコード大作戦」のコーナーは特に面白かった印象があります。ただ、いつも最後まで聞き終わることなく深い眠りに入っていきました。
中学になると、NHKの『基礎英語』を聴くように学校から指示され、テキストも配布されましたが、早朝放送のせいか、これがどうにも眠たくてたまらず、“Repeat after me.”と言われたところで返す力も湧かず、結果ほとんど聞いていなかったのが実情で、そのために先生からゲンコツを喰らうこともたまにありました。(小学校の夏休み、毎日「新しい朝が来た!」と『ラジオ体操』を聞けたのは近所の子供達が一緒に集まっていたからでしょうか。)その代わりと言うか、天野鎮雄の『アマチンのさん!さん!モーニング』は欠かさず聞いていました。番組内の各コーナーが始まる時間が毎日同じなので登校前の時計代わりにしていたのです。「アマチンさんも毎日朝早くから大変だなあ」と思っていたところ、やはり後年になって番組終了時に彼は「番組が終わってホッとした。寝坊したのではないかとうなされて目が覚めてしまうこともあった」と語っていました。長年にわたって早朝番組を続ける苦労は並大抵ではなかったことでしょう。
この頃になると、深夜までラジオに耳を傾けることが増えてきます。と言うことは「ながら勉強」になる訳で、集中力に欠けることこの上なく、さらにこの「習慣」は学生時代まで続くことになるものの、そこには何となく妙なペースやらリズムやらが生まれて、それなりに諸事こなしていたような気もしています。物は言いようです。まあ確かに片方でテレビ好き、読書好きと来ては、一体いつ勉強していたのかと今更ながらに首を傾げているような有様ではあります。机に向かいながら聞いた『メルサ・チャームコーナー』はほんの短い番組でしたが、今夜こそは自分の大好きな映画音楽が紹介されるのではないかと淡い期待を抱きつつ、イヤホン越しに聞こえる情感一杯のメロディーに暫しの間しんみりした気分になったのでした。深夜となれば『ビートたけしのオールナイトニッポン』が大人気でした。学校の仲間がみんなビートたけしの口調になってしまっていたくらいの一大ブームでした。今までにない別格の笑いのセンス、笑いの「かたち」に誰もが衝撃を覚えていたのでしょう。それでもエンディングの「ハイサイおじさん」を聞くまではなかなか起きていられませんでしたけれども。
学生時代は当地を離れていましたので、電波状況によっては名古屋方面の番組も微かに受信することができましたが、やはり地元の名物アナが活躍するローカル番組を中心に聞いていました。当時はテレビ放送が大体深夜零時までには終了していたため、そこからはラジオに切り換えることとなります。深夜の街は不思議なほど静かでした。雪の降る夜は尚更です。まさに静謐なる星空の下、皆穏やかに眠りに就いているの感がしました。全国放送の『いすゞ歌うヘッドライト~コックピットのあなたへ~』では、演歌、ポップスなんでもござれで、長距離トラックの運転手さん達が公衆電話から(携帯電話はまだ普及していません)元気にリクエストし、彼らの疲れを癒すDJの陽気な受け答えが歌に明るさを添えるうちに、陽は昇り、朝を迎えるのです。思い返してみると、この時分から昼夜逆転の生活も始まっており、「学問はかくあるべし!」などと粋がっていたのも今となっては懐かしい記憶ですが、そんな日々を送れたのは、取りも直さず我が恩師も学友達も猛者揃いだったからであり、その圧倒的な個性群に強烈な刺激を受け続ける環境に図らずも自分が置かれていたからに他なりません。
最近では、車で移動中に聞く『テレホン人生相談』に泣いたり怒ったり、枕元にラジオを置いて、睡眠薬か子守唄代わりに『ラジオ深夜便』をごく小さい音量で耳にしながら瞑目したり、ふと目が覚めた時に流れている宗教番組に宗派・教派を問わず感心したり、考えさせられたり、場合によってはそこから二度寝したり……といった塩梅です。
ここまでの話はすべてAM放送(中波)に関するもので、勿論高音質のFM放送の人気も忘れてはなりませんが、もう1つ、短波放送(SW)にも触れておきます。中高生の頃は、BCL(Broadcasting Listening)と言って、特に短波放送を受信して楽しむという趣味が流行していました。当然競馬中継や株価情報などではなく、イギリスBBCやバチカン市国などの遥か彼方の国から届けられる日本語放送を聞いて異国文化のロマンに浸り、夢を膨らませたのです。今でこそ性能の良い小型受信機がありますけれども、昔は屋根の上に大きなアンテナを立ててもなかなか安定して電波を拾えませんでした。受信に悪戦苦闘するところが、また逆に面白さを倍増させていたのでしょう。ネット社会からは想像すらできますまい。今では「ラディコ」とか「ユーチューブ」で時を選ばず瞬時にあらゆる情報が伝達されるのですから、まさに激変です。その激変した世の中が当たり前だと認識する人々が現代のマジョリティーを構成しているのも事実なのです。
かくして、今までの日常生活を振り返り、さらに現時点、このご時勢において、まことにアナログな装置、「ラジオ」を顧みてみると、それはまさに「人生の伴走者」と表現しても差し支えないほどの存在であると言えましょう。
ラジオから流れる音声に耳を傾けていると、次第に心が落ち着き、ゆっくりと物思いに耽られるようになります。それに何と言ってもラジオの第一特性として、音声の伝達のみによってすべてを表現するという性質が挙げられます。勿論このことは、視覚に障害のある方の情報収集にとっては大変有意なことであると同時に、聴覚に障害がある方のそれにとっては大きな障壁となってしまうことでもあるという点を忘れてはなりません。その上で、このラジオなりラジオ番組なりの特性を改めて捉え直してみると、一切画像・映像に頼らず音声にすべての情報を凝縮し、言葉や音響による表現手法を徹底的に工夫し尽くして、広範囲の人々にあまねく、わかり易く伝えることこそが特徴であり、使命でもあるのですが、それによって伝達された情報が聴取者にしっかりと理解されるのかと言うと、そこには聴取者自身の想像力(イマジネーション力)が絶対不可欠であるという事実が必然的に浮かび上がってくるのです。
伝えられる情報は膨大でも、個々の情報はバラバラの状態で、それらを知識や論理を駆使してどうにかつなげて吸収(理解)しようとしても所詮無理な話で、その役割を担えるのは、お手本やら解答やらが無い中で自ら自在に想像して考える力、即ち想像力しかありません。この想像力が働くところにおいて初めて、知覚や思考にバランスと調和がもたらされるとともに、健全な結論が導き出され、言動は活き活きとしたものになるのです。くどいようですが、どれだけ博識で論理的思考が優れていても、どうにも説明のつかない領域というものがあります。情報間の間隙を埋めたりつなげたりするには、知識と論理だけでは不可能なのです。まさに想像力こそは、埋まらずつながらない領域における「触媒」のような働きをし、あらゆる情報を有機的につなげることによって、その情報の本当の意味とか価値を出現させて、理解の深度を劇的に増さしめるのです。やはり何より他人のお仕着せではなく、自分であれこれ思い巡らせてみる労を厭わないことが肝要なのでしょう。
そこで、想像力が大切だという以上、想像力を養わなければならないことになります。テレビや映画なども結構な媒体、エンターテイメント・ツールではありますが、一般に画像・映像主体の情報に対してはどうも受け身で接する傾向があるやに見えます。そこには情報伝達における利便性、有用性、効率性の高さに胡坐をかいている横着な受け手の姿が見え隠れしており、そんな受け手は恐らくのところ一方的に流される情報の激流の中で思考停止、想像力減衰に陥っていると言っては言い過ぎでしょうか。その意味で、まさしくアナログの世界は、不便で、手間暇かかって、まどろっこしくて、もどかしさの極みにあるとしても、そのもどかしさの中で苦闘奮闘してみることで事象を能動的に捉えられるようになり、想像力も身に付いてくるような気がしてなりません。
今日も朝から深夜、また朝までラジオから声が聞こえます。声に助けられ、曲に癒されて時を過ごすというラジオの体験は、鮮明な思い出としていつまでも心に残ります。ラジオを通した声には名状しがたい魅力が溢れているのです。ワクワクしながらチューニングして、静かに耳を傾けてみましょう。小さなスピーカーから聞こえてくる音声は、我々を無限大の世界にいざなってくれるに違いありません。
さて、第68期もはや2ヵ月が経とうとしています。光陰矢の如し。存外1年とは長いようで短いものです。あっと言う間に時は過ぎてしまいます。そんな期間のうちに、受注も施工も着実にこなしていかなければなりません。先を見据えて今を歩む。厳しさを増す景況下、今期を乗り切るための決意を持ってチャレンジ・実践し続け、かつ抱く目標を達成すべく、一歩一歩を踏みしめて確実に前へ進んでいきましょう。
酷暑や台風との闘いは続きます。これまでの経験や得られた知見をフルに活かし、小さなことも見逃さず、先手先手で対策を打っていってください。
何よりご自愛専一にて。ご安全に。