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第44回「孤独な散歩者の自尊」
本棚を眺めていると、昔に読んだ本の1冊に目が留まりました。ジャン=ジャック・ルソー著『孤独な散歩者の夢想』(今野一雄訳 ワイド版 平成3年 岩波書店)という作品です。多感で繊細な心と旺盛な表現欲とが交錯する中で、社会からの迫害による孤独感・厭世観・絶望感に苛まれつつも、自然と人間への温かい眼差しを決して忘れることなく自己探求を続けるルソー晩年の著作です。思想家ルソーについてここで詳しく説明する余地はありませんが、彼は、1712年に、当時のジュネーブ共和国に生まれました。複雑な家庭環境、転変する宗教観、繰り返される転職、多彩な人物との運命的な出会いと反目……。哲学、政治、経済、教育、音楽などに関する著作を次々に発表するも、禁書扱いをされて各地を流転し、エルムノンヴィルのジラルダン侯爵領にて永眠しました。66歳でした。精神的にも、経済的にも不安定な日々が続いていたでしょうし、人生への諦念と希望が交互に明滅する波乱な人生であったに違いありません。自己の保存と他者への憐憫を基調とする彼の思想は、本人が望んだ形かどうかは別にして、かのフランス革命に多大な影響を及ぼしました。人間社会に「新しい視点」を提供したのです。後世の評価は分かれますけれども、今でも様々な学問分野において論究するには避けて通れない思想家のひとりなのです。(余談ですが、童謡「むすんでひらいて」の原曲を作曲したのはルソーと言われています。)
ところで、上述の岩波書店版には、付録として「晩年のルソー」という一文が掲載されています。著者はベルナルダン・ド・サン・ピエールという作家で、彼が友人に誘われてルソーに会いに行った時のことが描かれています。晩年のルソーとテレーズ夫人の様子が事細かに描写されていてとても興味深い一編だと言えます。その中で、ルソーという人物の特徴がよく表れているエピソードがありますので、要約して紹介したいと思います。
ある時、ルソーの好物がコーヒーとアイスクリームだということを知ったサン・ピエールがコーヒー豆1包みをルソーに贈ったところ丁重な御礼の手紙を受け取りました。ところが翌日、ルソーから全く違う調子の手紙が送られてきたのです。包みの中身を確認せずに御礼状を送ったが、知り合ってまだ日が浅いのに贈物をもらってしまっては、我々の関係はまるで身分違いの交際となってしまうし、こちらからお返しをする余裕もないので「コーヒーをお引き取りになるか、もうお目にかからないか、どちらかにしてください」。サン・ピエールは驚いて、贈ったのは大したコーヒー豆ではなく、交際の二者択一はルソーの方にお任せする、と返信しました。結局、ルソー側からチョウセンニンジンの根と書物1冊をもらうという形にして問題解決に至ったのでした。
難しい性格で、他者との交流からは距離を置きがちになっていたとは言え、彼の心の中には、決して譲れない、また失ってはならない自分の信念、価値観(価値基準)が確実に存在したのです。そのうちの1つが「衡平」、即ち「バランスがとれ、等しく扱われること」という考え方だったのでしょう。この考え方を守ることがルソーなりのこだわりであり、一分(いちぶん)であり、矜持(きょうじ)だったのです。矜持とは、まさしく自己の信念、絶対的な自負ということであって、英語で言うならば「pride(プライド)」が近い表現になりましょうか。
ここで少し寄り道をして、「プライド」という言葉について考えてみてもよいと思います。
“pride”という単語は、辞書によれば、古英語的に“proud”から派生したとされます。元々語源的には「横柄な」という意味だったようです。従って、“pride”の意味は、本来「うぬぼれ」「高慢」「自慢」「思い上がり」「優越感」といったところにあるとされ、あまり良い意味ではないように感じます。ただ同時に、「自尊(心)」「素晴らしく満ち足りた様子」という意味もあると説明されており、何やらひとつの事柄の表面と裏面の両方を見せられている印象すらあります。「自尊」については“self-respect”という表現もありますが、まさしく“self”を“respect”する、つまり自分自身を、後になってもう1回見直し、顧慮して再評価してみるといった意味でしょう。この“self-respect”の方は、自己を見つめ直して分析し、その値打ちを見定めるという意味があるので、“pride”とは少し意味合いが違ってくるようです。しかし、日本語では“pride”も“self-respect”も、場合によっては同じく「自尊」と訳されてしまい、なかなかわかりにくく混乱してしまいます。それもこれも、日本語の単語と英語のそれとは必ずしも対になっていないことが原因で、こればかりは致し方ないとして受け容れざるを得ません。そこで、本稿で「プライド」という言葉を使う場合は、今述べたような2つの意味を性格的に持ち合わせた言葉であることを意識して使うこととします。
さて、それでは我々のような職業人における「プライド」とはどのような性格のものでしょうか。時としてそれは「職人気質」と言い換えてよいかもしれません。
先頃、森繁久彌の著作全集が刊行開始されました。大阪の名家に生まれ、戦争と満州を体験し、戦後日本の演劇界を牽引してきた大御所俳優・森繁は、また優れた文筆家でもあり、生前多数の著作を世に出していました。全集には昔読んだ作品もたくさん収録されていて、本当に懐かしく嬉しい限りです。『全著作 森繁久彌コレクション』(全5巻 令和元年より順次刊行 藤原書店)がそれです。森繁没後10年経ってのようやくの発刊に女優・草笛光子はお怒りでしたが、至極もっともな話で、確かに遅過ぎの感が強い刊行事業ですし、併せて、映画・テレビ・舞台などの映像記録についても早期に整理・編集し、我々にもう一度感動を与えてほしいと願うところではあります。
そんな全集の第2巻「芸談」の中に、機関士の話が出てきます。役者というものは、疲れて今ひとつ力が入らない日でも、開演の時間が近づくと、客席のざわめきが聞こえてきて、意識もハッキリし、やる気・元気が湧いてくるようで、そのことが映画撮影のための座談会で機関士から聞いた話と重なるというのです。機関士の話の部分を引用します。
「私どもとて、どうしても睡気がつきあげてくることがあります。そんな時は、駅で停車中、プラットフォームを歩いて客車を見て歩きますが、雑誌を読んでいる人、赤ん坊に乳を与えている母親、眠る人、一杯やっている連中などを見て、この安心しきった人々を私が引いているのかと思うと、一ぺんに眼がさめます」。自己と他者がひとつの時間をひとつの所で過ごすと、各自役割が違っても通底する同じ思考で統一される。ともに歩み、作り上げていくものがある。演劇もそのひとつだというのです。
この話の機関士は、まさしく「プライド」に満ち満ちています。勿論、ただのうぬぼれや見栄・虚栄の表れではありません。そこには自己の主張や自己の言動に対応した使命感、責任感(特に他者への責任)がワンセットになって厳然として見て取れます。自分の欲望の全解放、権利の無条件完全行使などに走ることなく、為すべきを為すということ、提供を受けるだけでなく務めを果たすということ、受動的であるだけでなく能動的であるということ、即ちこれらはすべて、自己は他者の中にあってこそ初めて知り得るものだということ、他者の生との連関においてこそ自己の生を意味づけられるのだということから導き出される考え方であると言ってよいでしょう。だからこそ、ここにおける「プライド」は、他者から一目も二目も置かれ、一定の配慮をされる地位を占められるのです。職業人における「プライド」とか「職人気質」にも全く同じことが言えます。要するに、自己の言動にどれだけ責任を持ち、なおかつ他者への影響にどこまで思いを及ぼし責任を取れるのか、ということが「プライド」の真価を決めるのでしょう。自らの視点、他者の視点、より高いところからの視点、より低いところからの視点、あらゆる角度から考えた上で実行できるのかどうか……。
そう考えてくると、つくづく思うに、少なくとも私個人の「プライド」なんぞ、まだまだ些細な、チンケな、吹けば飛ぶような、取るに足りない代物に過ぎないと言わざるを得ません。ああ、精進すべし、精進すべし。
第68期後半戦の真っ只中にあって、誰もが自らに「プライド」を持って職務に邁進しなくてはなりません。それはまた、他者に対する責務を果たさなければならないことをも意味します。当然のこと職務上の他者とは、発注者であり、設計・監理者であり、エンドユーザーであり、協力業者であり、地域社会の人々のことなのですが、加えて、建設という「ものづくりの仕事」に携わってきた先人と携わるであろう後人をもそこに含ましめるべきでしょう。
「プライド」持って完成させた工事を責任もってお引き渡しする。建設工事請負業の一員にとっては極めて単純明快な、この基本的使命を今ここでもう一度確と認識し、また明日からの仕事に向き合っていきましょう。ご安全に。