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第54回「絶メシ」

 ここのところ、同じテーマの繰り返しになってしまうことが多くて相すみません。今回も皆さんにご容赦いただいて、もう少しだけあれこれ考えてみることにします。
 立ち並ぶ古書店と闊歩する学生が街の風景を彩る東京・神田神保町。その神保町の「すずらん通り」に「キッチン南海」というカレーライスの店がありました。飯田橋で創業してから丁度60年を迎えた先日、入居するビルの老朽化を理由として、多くのファンに惜しまれつつ閉店しました。古書店巡りをするには「腹が減っては戦はできぬ」ので、先ずは「キッチン南海」へ寄って腹ごしらえをするというのがお決まりのパターンでした。「黒カレー」と称されるほどにルーが黒いのが特徴で、トンカツなどのフライ系をトッピングした定番カレーをお目当てにやって来た客によって狭い店内は埋め尽くされ、それどころか店外にはいつも行列ができていたものです。老若男女の客達は、それぞれの思い出を引っ提げながら、スプーンですくったカレーライスを実においしそうに頬張り、幸せ一杯の満ち足りた表情をしていました。厨房の中では何人かのコックさんが見るも鮮やかにテキパキと調理を進め、熱々ご飯にたっぷりとかけられた黒いルーが輝いて見えている皿が次から次へと客の前に運ばれていく様は、「速い、安い、美味い」の三拍子を必須条件とする常連達にとっては小気味よささえ感じられるものだったに違いありません。大体からして店の近くまで歩いていくと、何とも言えぬ芳ばしい香りが漂ってくるため、その気がなくとも店内へ引き寄せられてしまった人もいたのではないでしょうか。世代を超えて愛され続けたこの店も、遂に閉店の日を迎えたのでした。客達は皆、ノスタルジーと寂しさを覚えながらも、「ありがとう」という感謝の拍手を送ったことでしょう。
 「絶メシ」という言葉があります。ご時世なのか、ご時勢に抗えず、特に嗜好変化や経営困難を理由として消え去りつつある身近で小さな飲食店。そんなお店で出される「絶対に絶やしたくない絶品グルメ」のことを「絶メシ」と言うそうです。「絶滅はしていないが、絶滅寸前のメシ」という意味もあるのでしょうか。いずれにしても、誰にでも1つや2つはすぐに思い浮かぶ「絶メシ」があるでしょう。昔から地域の人々に愛され続け、地道に営業してきた店、時々無性に食べたくなる「癖になる味」。今、全国には、そんな風前の灯火の店や味が数多くあり、その絶え入るような様子に、客という名のファンは「何とかならないものか」とヤキモキし、ささやかなエールを送り始めているのです。
 「キッチン南海」については、閉店したとは言うものの、社長のご親戚が受け継いで神保町の別所に開店しましたし、これまでにも数多くの弟子達が「のれん分け」され、それぞれの工夫で味を伝え続けているので、そこの看板メニュー「黒カレー」は「絶メシ」には分類されないのかもしれません。しかし、「場所、店構え、店主、味、客」による四重奏の歴史で成り立つ「外食文化」の内の何要素かが失われたことは確かで、その点において人生の一部分が消え去ったような悲しさを抱く人が多かったのだと思われます。
 やはり飲食業の難しさ、厳しさなのでしょうか。東京などの大都会だけでなく、地方の町にも見られる現象です。いや、それどころか似たようなことは、大なり小なりどんな商売・産業にもあり得る話なのです。これまでもずっと抱え続けてきて、どれだけ頭をひねっても、なかなか解決策の見当たらない諸問題に直面しているのは、どの産業も同じことでしょう。その危惧される事態を受けて、飲食業では「絶メシ」と言われるのが、他の産業では「絶〇〇」と言われるというだけの違いです。店がなくなる、産業が衰退する、組織が解消する、技法が途絶える。もっと拡げて戦争ともなれば、人が亡くなる、街が消滅する。国破れて山河あり……。何事も絶え行き、なくなる恐れはあります。辛うじて思い出だけは残りそうですが、思い出の「よすが」がなくなれば、次第に思い出そのものも薄れていくのかもしれません。勿論、思い出の中には、薄らいでも構わない思い出もありますし、一刻も早く消し去りたい思い出もあるでしょう。しかし、いかなる思い出も消滅に向かう時には寂寥感が付きまとうものです。しみじみと心に沁み入るようなこの「感覚」については、世上広く共有されているものと考えます。「すべては永続して然るべき」という勝手な思い込み故に普段は考えも及ばなかったにも拘らず、現実にある物事が絶え行く様に直面して衝撃を受け、同時にその先の行く末を思うと得も言われぬ不安定感、喪失への不安感に襲われる……そうした「感覚」のことです。
 しかし、ここで終われば話は簡単なのですが、ぐるりと周りを見回してみると、世の中には色々な考え方を持つ人々がいることに気付きます。わかりやすく言うと、「消えるも残るも時の運」、「他人の盛衰に興味なし」、「我絶えねば支障なし」、「過去の喪失を惜しまず、未来の獲得に頓着せず」などといった妙にドライな考え方をする人々のことです。本心からなのか、照れの裏返しで斜に構えているだけなのかはわかりません。ただ、どちらにしても、時間軸上の現在という一点にある自分にしか関心のない様が如実に表れている言い草です。どうやら私は、このドライな考え方に少しばかり対峙しなくてはならないようです。
 ドライな考え方の背景には、次のような見解があるのではないでしょうか。即ち、「絶〇〇」だらけの世の中になろうと、所詮人間社会は、物質的な豊かさを際限なく追い求め、科学技術の進歩を止めずに加速・促進するとともに、経済的な合理性の満足と効率性の向上を至上命題とする、従って、これに反する一切の事象は無視か否定・抹消されて然るべきである、という見解です。ところが、この見解に立脚する人々は、人間の本性と将来の方向性について真剣に考えているように見えて、実は今現在のことしか考えていないと言えます。つまり進展・成長の最先端に位置するを自負する自分達の都合だけで考えを巡らせているのです。およそこうした人々は、自分が完全な「自由」と無限の「権利」を絶対不可侵的に享受できる「王様」か「殿様」であると思い込んでいる嫌いがあります。その思い込みからは、実に傲岸不遜、勝手気ままで野放図な言動が生まれ、下される判断は刹那的、ご都合主義的である傾向が見られます。ここにおいて当然不足・欠如することは、過去なり歴史なりへの敬意や配慮、言い換えれば、先人の営みに関する省察です。「今を生きる自分」本位、「この瞬間の自己」愛で充溢した発想からすれば当たり前の帰結で、だとすれば、将来のことなども真剣に考えている振りはしながらも、本音のところでは全く関心の対象外に置かれているというのが実情ではないでしょうか。謙虚に過去を見つめ、将来を案じることができるのならば、現状の廃止や変更を伴わねばならぬ大胆な決定についても、本当は苦渋し落涙した後、時に合掌までして下されるものであるはずです。先人や後人のことをまるで他人事のように捉える考え方は、安易軽率の誹りを免れません。
 これまでにも何度も言及してきたように、現時点において、過去を引き継ぎ、未来へとそれを受け渡す責務を負っているのは、今を生きる我々なのです。何事もその場限りの損得勘定で処断してはならない所以です。「過去も未来も知ったことではない。今の自分のことだけで精一杯だ」という叫びは人情としては理解できますけれども、歴史の大きな流れの中で事象を把握しようという思考を一切遮断してしまうことにどれだけの意味があるのでしょうか。父母や先祖からつながる「いのち」だけでなく、先人が築いてきた文化・社会制度から十二分に蒙っている「恩恵」に思いが至らないのでしょうか。過去に背を向け、未来を突き放して「恩恵」だけ独り占めするという態度に痛痒を感じないのでしょうか。上述したように、人間社会の悪弊や障害を取り除いて諸問題を解決すべく、大胆な決定によって改善は継続されるべきですが、それにしても「時間軸のない視座」からは、過去と未来から自分を切り離した「独善、独占、独断」への陥落しか生じないのではないでしょうか。
 受け継ぎし諸々の事柄を一刀両断、あっさりと処分してしまうことは一見簡単なことのように見えます。しかし、その振る舞いには「後は野となれ山となれ」という慣用句にも似た何とも恐ろしい考え方が見え隠れしています。しかも「貰えるものは独り占め」という了見まで加味されるとすれば、そんな振る舞いを目前にした時に抱く感想は、ひたすらに「残念」の一言に尽きます。多少なりとも軽蔑の念すら抱きつつ、黙思するだけかもしれません。何故ならば、歴史に無感覚であるという「生き様」が真に「生き様」と称されるに値するのかという疑いを禁じ得ず、またこの素朴な疑問は「人それぞれ」という漠然とした「決めゼリフ」をもってしても容易に消え去りそうもないからです。
 消えゆく店。そこに集った人々。そこに流れた時間。語り継がれる伝説。その店という一点おいて、何世代にもわたる人々が往来し、交錯し、各々の人生に思い出が刻み込まれ、時に濃く時に淡く色付けがなされました。乾きがちな心がちょっぴり潤ったことでしょう。その潤いの中から、自分自身の将来に、あるいは後人の世代に花開くことを予感させる芽吹きがあったのだと信じたいものです。「絶メシ」……悲しくも切ない響きです。この言葉に触れた時、一体どんな感慨を抱くのか。味わいつつ思索に耽ったとしても、あながち無駄とは言えないのではないでしょうか。
 さて、令和2年は間もなく終わります。今年は新型コロナウィルス感染拡大により、日常生活と社会経済活動が大きな影響を受けました。そればかりか、それぞれの人生観や価値観にも、これまでにない変化が見られました。不明、不安、不満という3つの「不」が渦巻く混沌とした状況に誰もが置かれたからです。昨年の今頃、令和2年がこの様な1年になるなどと想像できた人は1人もいなかったでしょう。
 急激にコロナ以前の状態に戻ることは困難なことですし、また急激に戻すこと自体、逆に社会に大きな打撃を与えてしまうかもしれません。とは言え、やはり一刻も早く将来への明るい希望を持って歩み出したいと願うのは、万人の一致するところではないでしょうか。まだまだ緊張感を維持し、警戒を続けて生活していかなければならないでしょうが、そうした中でも、幾多の苦難を乗り越え、画期的な解決法(治療法)を発見・確立してきた人間の叡智に期待したいと思います。
 会社の役職員の皆様には、この1年間、本当に厳しい環境下職務に精励くださり、誠にありがとうございました。また、ご家族の皆様には、日頃より温かいご支援ご協力を賜り、心より御礼申し上げます。
 来年も何卒よろしくお願い申し上げます。それでは、よいお年を。ご安全に。

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