IWABEメッセージ
第58回「やはり美しい包み紙」
旅行に行った時やお客様にお会いする時などに手土産を買うことがあります。お菓子であれ何であれ、記念となるもの、相手の方に喜んでいただけるものを吟味して選び、それを買い求めます。店員さんに「これをください」と伝え、お会計を済ませたのち、手土産が包装されるまでしばし待つことになります。その間、店員さんの手先に目を向けていると、包み紙は見るも鮮やかに何度も折り重ねられていき、寸分の狂いもなく手土産を包み込んでしまいます。その様にはつい唸らざるを得ません。幾何学の原理と言うよりも長年の職業上の勘により、シワひとつなくピシリと包み上げ、最後に独特の特徴的なシールで留めて包装作業は完了するのですが、いやはや何とも見事な手さばきです。また包み紙、つまり包装紙そのものには、意匠を凝らした美しい模様がカラフルに描かれており、中味のお菓子のおいしさを暗示するだけでなく倍加させる役割すら担っているように見えます。時に包装紙の「魅力(魔力?)」によって中味の値打ちや受取り手の印象が変わるとも言われる所以です。
この完璧な包装の「技」は、日本人だけでなく、特に海外から日本を訪れた諸外国の皆さんにとっても、驚異・讃嘆の的であるようです。我々にとっては普段見慣れている光景だとしても、彼等の目からすれば、単に「袋にポンと入れてよし」ということではないだけに、包装紙の美しさに加えて、「おもてなしの心」をもって披露される包装の「技芸(art)」自体に深く魅入られてしまうのかもしれません。
手土産と言えば、包装紙以前に中味の「容器」についても触れるべきでしょう。例えばお菓子などを求める時に見られるように、容器としては紙製の箱が使われたり、金属製の箱、すなわち缶が用いられたりするものです。どちらの容器もサイズは大・中・小いろいろあるのは同じとしても、お値段的には紙箱より缶の方が少々お高くなることはわかります。それはそれとして、いずれも味わいのあるユニークな図柄が印刷されていて、大いに目を楽しませてくれることに違いはありません。人によっては、その図柄を見ただけで、どこのお菓子屋のどんなお菓子が入っているかが即座にわかってしまうことすらあるのは包装紙と同じです。容器は包装紙と組み合わさって、まさしく商品のアイデンティティーを構成していると言っても過言ではないでしょう。当然のことお菓子そのものは商品の命ですが、箱・缶、包装紙、それに時には手提げ袋まで全部揃ってひとつの立派な「芸術品」となります。従って、お菓子職人、箱・缶・包装紙・手提げ袋のデザイナーや製作者達、加えて巧みな技芸を披露してくれる店員さん達は皆「芸術家」に他ならないのです。
部屋の中をぐるりと見回してみると、そうした芸術品がいくつか目に入ってきます。デメル「トリュフ」の箱、松華堂「松かげ」の缶、銀座たちばな「かりんとう」の缶、麹町ローザー洋菓子店「クッキー」の缶などなど、中味を食べてしまっても、どうにも手元に置いておきたくなるものばかりです。包装紙や手提げ袋も部屋の片隅に何気なくまとめられていますが、どれもいつ訪れるかわからぬ出番を待っているようです。今すぐ何に使うという訳ではなくとも、ただただ手放すには惜しい。何も柳宗悦の「民芸運動」における「用の美」とまでは言いませんけれども、それ自体としてひとつの完成された作品である缶や箱などを、躊躇なく早々に処分してしまう気にはなれないということもまた事実なのです。専門家や店員さん達の苦心と創意工夫の成果は、実に静かに、かつ力強く私に何事かを訴えかけているようにすら感じられます。
ところが悲しいかな、昨今ではいろいろと難しい問題が生じています。そのひとつが、缶造りに従事する人、つまり製缶職人が相当減ってきているということです。そのため、缶を使用して商品を提供しようにも、肝心の缶そのものが入手しにくくなっています。場合によっては、もはや入手不可能というケースもあるようです。恐らく昔から長く製缶業を営んできた工場が、不景気のせいか、人手不足のせいか、後継者不在のせいか、残念なことに廃業してしまい、製缶職人もいなくなってしまったのでしょう。こういう事態が頻見されるのは、何も製缶業に限ったことではなく、あらゆる産業、あらゆる「ものづくりの仕事」においても同様で、その産業の存立を脅かしかねない「大いなる悩みの種」になっていることは周知のとおりです。
とにもかくにも缶がない。缶がないと紙箱になる。紙箱でもよいが、缶の持つ性能、質感、手触り、重みといった「良さ」は諦めなくてはならない……。これら缶特有の「良さ」は、商品によってはそのアイデンティティーを組み立てる大切な要素である以上、どうにも仕方ないとは言え、どことなく割り切れなさや寂しさすらが漂います。言うまでもなく、お店の方も断腸の思いで次善の策を取られたのでしょうし、時の趨勢には抗えず、新しい形での商品提供を模索して、次なる歴史を刻み始めたのだと前向きに捉えなくてはならないのかもしれません。
次は包装紙についての問題です。最近は資源保護の観点から「ペーパーレス」が合言葉になっています。「ペーパーレス」ということは「ペーパーに携わる人々」も「レス」なのかと誤解されてしまうので、正しく必要なことを主張していると自認する人も、よくよく考えた言葉遣いを心がけなければなりませんが、間違いなく世間の潮流は「ペーパーレス」へと最大加速して突き進んでいます。包装紙についても、「過剰包装を排し、簡易包装に徹せよ」の大号令が発せられ、時には「無包装で中身だけお持ち帰りください」と言われて虚しくなることもしばしばです。さすがにそれでは持って帰れないので手提げ袋が入り用となっても、今やこちらからお願いしなければ店内の棚の奥からはご登場になりません。お願いしたところで、「どのサイズにしますか」「紙ですか、ビニールですか」と追加の質問が続き、ほとほと面倒になって「ご随意に」と言いたくなってしまいます。中味のサイズや内容を見ればわかりそうなものの、店員さんの勝手にはできないのでいちいち確認するのでしょうが、確認せずとも丁度よい塩梅に提供されるサービスにこそ心地よさを覚えるのになあと嘆息してしまうところです。
前者の問題と後者の問題は、「世の中からの退場」いう点においては同じでしょう。しかし、特に後者についてはもう少し考えてみる必要があります。
昔「割り箸」が資源浪費と環境破壊の元凶のように言われて目の敵にされた時期がありました。一理はあるだけに、この流れに異を唱えることは相当困難でしたが、ここで注意しなければならないことは、自然環境を保護し、限りある資源の使用を節約するという目的は正しいとしても、その実現のための手法を誤ると、所期の目的は達成できなくなるということです。いかに正しく善い目的のためとは言え、拙速で急進的、またバランスを欠いた仕方を選択してしまうと、その目的は邪(よこしま)で悪しき目的へと変化してしまいかねません。近時人々はブームの如く「~レス」とか「省~」といった活動に勤しんでいます。勿論、それ自体の方向性は間違っていないと思いますし、動機も十分理解できるところです。しかしながら、こうした傾向性の集団行動によって惹起される強力なムーブメントの大車輪の真下で、有無を言わさず押し潰されていくものはないでしょうか。小さな小さな、ほんのささやかなものかもしれないとしても、人々が長い年月をかけて積み上げ、築き上げ、向上させ、継続させ、皆で愛してきた文化・文物へのこまやかな配慮が、そのムーブメントのうちには見られるのでしょうか。そこに「やさしい眼差し」はあるのでしょうか。
惑星・地球の寿命はあと50億年ほどであると聞いたことがあります。はてさて50億年後の人類はどうなっているでしょうか。太陽系外の惑星へ移住しているでしょうか。いや、それよりずっと前に自然災害や社会事変のせいで全滅しているでしょうか。いずれにしても地球にも人類にも寿命があり、終焉は訪れます。そうしてみると、先ほどのムーブメントは、人類滅亡の先延ばし、時間稼ぎに思えなくもありません。しかしまた同時に、子孫や他の種が安定的に生きられる「場」を残すべく努力するのが今を生きる者の責務であるという考え方ももっともだと頷けます。
少々話が混乱してきましたが、要するに、物事に対処するには「平衡」と「中庸」が重んじられなければならないのだと言いたいのです。文化・文物は先人が築き上げ、我々が受け継ぎ、後代へとつないでいかなくてはならない、尊重すべき対象、財産です。この財産は歴史的意義を持つだけでなく、今そこに生きる人々にとって、誰あろう自分自身という存在の「証(あかし)」にもつながるものなのです。他方、自然界の永続的存続を確実にし、人類の独善的で野放図な環境破壊と資源浪費を防止するべく大きなムーブメントが、「自然への敬意」を基底として発生しました。この「自然への敬意」という命題と先述の「人間文化の尊重」という命題とは対立も矛盾もしないと捉えるべきです。「自然界の一員として他と共存し、上手く振る舞う」という文化もあるように、飽くまでもこの2つの命題が両立しなければ、そこに真の意味での人間の存続はあり得るのでしょうか。どちらかの命題が否定されるところには、それこそ恐ろしい「破壊」が出現してしまいます。一方が絶対的に正しく、他方が絶対的に間違っているということではないのです。その時々の状況に応じて、柔軟にバランシングさせながら、自然と人為それぞれの素晴らしさ、優美さを保ち、輝かせ続けることこそが最良であり、まさに人間の叡智の働かせどころ、見せどころと言えましょう。
1枚の大きな包装紙が一見無造作に、しかもテンポよく折り重ねられていく……。店員さんの熟練の手さばきに見とれるとともに、包装紙に瞬く間に真っ直ぐ付けられた美しい折り目のうちに、失ってはならない大切なものの姿を見たような気がしました。
当期第69期も瞬く間に第4コーナーに突入しています。いよいよ当期の仕上げに力を注がなくてはなりません。それとともに4月は令和3年度の初月でもあります。新しい年度の新しい動きを確実に把握して、受注も施工も全力で取り組んでいきましょう。
そこで日々忘れてはならないのは、技の向上、仕事の精度アップです。不断の精進を欠かさず、先方から要求される内容・水準を十分確認・理解して実践に移すのです。
その上で、まるで包装紙に付けられた折り目ひとつが見事な技を象徴するように、ひとつひとつの仕事ぶりがお客様の目に止まり、高い評価をいただけるよう心がけましょう。
混乱の収束はいつになるのでしょうか。どうであれ油断大敵です。まだまだ闘いは続きます。基本を忘れずに、愚直に実行するのみ。ご安全に