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第74回「うなぎ・あなご・どじょう」

 「トーフー、トーフー」……そんな風に窓外から聞こえてくるのは、豆腐ラッパの音です。豆腐の行商人が、近所への到来を伝えるために哀感たっぷりに吹く豆腐ラッパ。何とも言えぬ風情を感じるだけでなく、この辺りでもまだ豆腐ラッパの音を聞けるのか、とささやかな幸福感すら覚えます。豆腐という食材の持つ魅力もあるとは言え、それをわざわざ近所まで訪れて売りに来るという営為そのもののうちに、少しずつ薄れ消え去りつつある日本文化や日本情緒を見出だすことに、ほのぼのとした、しみじみとした喜びやらうれしさやらを知るのです。勿論、お豆腐屋さんだけに当てはまることではありません。竿竹屋さん、魚屋さん、金魚や風鈴を売る行商人たちにも同じことが言えます。
 行商人の中には、季節に関係なく訪れる行商人もいれば、特定の季節にのみ姿を現す行商人もいます。後者はまさしく「風物詩」と言えます。四季の移ろいの中で、情理に翻弄されつつも日々懸命に生き続けようとする日本の市井人にとって、特に風物詩なるものは、人生途上の折節に立ち現れる「基準点」のような役割を担っているようです。
 この時季の風物詩で思い出すもののひとつに、「どじょうの蒲焼」があります。北陸地方の夏の風物詩で、あちらこちらの店で売られているようですが、私の印象に残っているのは、メインストリートから一本奥に入ったところにある路地の入口あたりに置かれた屋台で売られているもので、夕方になると、秘伝のタレにたっぷりと浸かったどじょうの串刺が炭火で炙られて、得も言われぬ芳ばしい香りを漂わせてくれます。蒸し暑さと立ち上がる煙の間を縫って猛烈にアピールしてくる「旨味の予感」のせいで空腹感は増し、ついつい屋台へと足は向かってしまうのでした。うなぎではありません。あなごでもありません。どじょうです。どじょうの蒲焼(串焼)なのです。値段も庶民的で、栄養価もうなぎやあなごに負けないため、「庶民のタンパク源」と呼ばれています。元々の起こりは江戸時代、改宗に抗したキリシタンが山に籠り、少しでも栄養価の高いものを摂ろうとして考案したものだとも、また、そのキリシタンが生計を立てるために秘かに売り歩いたものだともされますが、本当のところは定かでないようです。どじょうは小さくとも、さすがに武士の時代なので腹開きは縁起が悪く、背開きにて調理されています。まあ蒲焼になってしまうと何開きかわからないぐらいに焼き上がってしまうのですけれども、何にせよ、活きのよい新鮮などじょうを手際よくさばき、特製のタレに浸けてじっくりと焼き上げるのがおいしさのコツであるようです。食感はフワフワというよりもコリコリに近く、味は少し苦みがあるのが特徴で、つまりは「クセになる味」といったところでしょうか。ああ、今日もその味を求めて屋台に行列ができている……そんな光景が思い返されます。
 うなぎにはうなぎの、あなごにはあなごの、どじょうにはどじょうの良さ、おいしさがあります。と言っても、やはりお値段的には、うなぎ、あなご、どじょうの順になるでしょう。この3つの並びを目にすると、またまた別のことを思い出してしまいます。話題が少しジャンプしますが、ちょっとだけお付き合いいただきましょう。その話題とは「整備新幹線」です。
 整備新幹線とは、東海道・山陽・東北(東京-盛岡間)・上越の各新幹線のことではありませんし、今話題のリニア中央新幹線もそこには含まれません。昭和48年に「全国新幹線鉄道整備法」に基づいて整備計画が決定された5つの路線のことを指します。5つの路線とは、北海道(青森-札幌間)・東北(盛岡-青森間)・北陸(東京-大阪間)・九州(博多-鹿児島間)・九州(博多-長崎間)の各新幹線のことで、これをして整備新幹線と称します。これ以外にも全国至る所に新幹線計画がありますが、未だ整備対象にはなっていません。
 このうち東北と九州・鹿児島ルートは全通した一方で、その他の路線は工事途中であったり、部分開通の状態です。また開通したとは言え、建設費の一部は地元沿線自治体の負担とされ、さらに新幹線と並行して存在する在来線はJRの経営から切り離されて第三セクター化されたのでした。東海道や山陽などの新幹線が建設された頃と比較すると、時代が違うとしても、新たに新幹線を整備するには相当厳しい条件が付けられているのです。それもこれも、是が非でも新幹線の延伸・建設を望む地元関係者と、大赤字だった国鉄の轍を踏まないようにするため飽くまでも予算と採算性を重視する政府やJRとの間で交わされた数限りない激論の末に得られた、ギリギリの解決策だったのであり、それなくしては「着工」の2文字が現実化するまでには至らなかったのでしょう。それぞれの立場の人々は、それぞれに一応もっともな筋論を主張し、あまつさえ刻々と変動する政治・経済情勢に翻弄され、果てしなく連続する紆余曲折に直面しながらも、粘り強く諦めない執念の「真剣勝負」を繰り広げたのです。
 紙幅の都合上、詳細までは説明できませんが、経緯からすると、先ず昭和63年に整備新幹線は「着工」に向けて一応の決着を見ました。但し、計画区間一斉に工事着手するという内容ではありませんでした。どの路線においても、ほんの一部区間の建設で、しかも、フル規格(通常の新幹線スペック)で建設されるのはさらに限られた区間だけでした。それ以外の区間では、ミニ新幹線(在来線にレールを1本増設し、新幹線から在来線へ直接乗り入れ可能にするもの。在来線も走行するので車体サイズは小さく、在来線速度しか出せない)とか、スーパー特急方式(路盤は新幹線規格だが、レール幅は在来線と同じ。在来線よりは速度を出せる。のちフル規格化される時にはレール幅を変更するだけでよい)といった案が採用されました。「予算抑制」と「高速化」の両方を満たそうとした苦肉の策であったのでしょう。こうした「運輸省案」を提示された地元関係者からは、「うなぎ(フル規格)を頼んだら、あなご(ミニ新幹線)やどじょう(スーパー特急)が出てきた」などという落胆と皮肉の混じった声が漏れてきました。こうした声に対して当時の運輸大臣は、「それでもかなりの良性タンパク質だ」と返しました。しかし何であれ、こうしてスタートラインに立てたが故に、現在の(一部を除いて)全線フル規格化につなげることができたに違いありません。うなぎは出てきたのです。
 当然のことながら、整備新幹線に限らず、巨大プロジェクトについては、技術的に実現が可能か否かということだけでなく、十分な費用対効果が見込めるのか、ランニングコストはどれくらいか、いやそもそも予算はあるのか等々が常に問題となります。昔、大蔵省内では「昭和の三大バカ査定」という言葉があったそうで、税金の無駄遣いの最たるものとして「戦艦大和・伊勢湾干拓・青函トンネル」を挙げていたようです。整備新幹線事業についても後々そこに列せられることになってはならない、と警戒の意味を込めて批判的に言及されたことがありました。「つかさつかさ」としては至極当然の見解だったでしょう。
 ただ、表現として少し気に掛かるのです。ある事象を見て、一体誰がそれを「バカ」と言い切れるのでしょうか。結果が出てからあれこれ理屈を並べ立てる評論家は論外です。やはりそれは、地域と日本全域、いや時には世界全体を俯瞰して冷静に情勢分析し、利害得失と理非曲直を見極めて意見表明ができる人を措いて他にないでしょうけれども、はてさてそんな人はどれほどいるのでしょうか。
 逆に、例えばの話、今現在置かれた環境に特段の過不足を感じず、便利で豊かな暮らしを満喫しており、従って、そうした生活環境に多少でもマイナス要素が降りかかったり、余計な費用を背負わされたり、もっと言えば、現在の生活水準が維持向上されるならまだしも、それを少しでも下げてしまうような「他人の都合」が発生したりする事態の一切を拒否しようとする類の人々などは、存外まま見られるものです。それとは違って、功成り名を遂げたとされる人々が、社会の現状を直視し、自らの余力をもって、貧困・差別・混乱に苦しむ人々を救おうと懸命に活動することは誠に崇高な行ないであり、全くもって素晴らしい限りなのですが、この場合においてすらも、内実としては自分の(または自分の属する特定集団の)利害関心の追求となってしまってはいないかを落ち着いて見つめ直すだけの時間が必要なのかもしれません。
 まるで繁栄の頂点にある大都会の超高層ビルの窓から下界を眺め下ろすように、そんな立ち位置から他者を「見下す」ような心根が本当にないと言い切れるのか。そうした心根をもって他者を評価し、その願いを一顧の価値すらないエゴと断定していないか。その願いの内に、長きにわたる苦しみともがきの果てに発せられる、うめきや叫びを聞き取れないか。もう一歩踏み込んで、この社会の「みんな」のことを考えているつもりが、その実「みんな」という不思議な人称の衣を着た「自己利益」や「自己都合」を主張しているだけではないか。その視点、その考え方、その判断は、小さな声、ささやかな「たつき」を配慮しているか。
 全体と個別部分、全体と全体、個別部分と個別部分……それぞれにおいてそれぞれの都合や理屈があるでしょう。しかしながら重要だと思うのは、そうした二者間で、先ずは相互の現状を知ること、違いを認め立場を混同しないこと、決定的な評価は真の俯瞰、可能な限り客観的な分析なしに下してはならないということです。その際に留意すべきは、「誰にとって」という問いでしょう。「誰にとって必要または不要なのか」、「誰にとっての善し悪しなのか」等々です。もうひとつ加えるならば、「それが間違いのない目的や目標を目指す行為だったとしても、手段として見合っていて適切であるか」という問いも欠かせません。
 これらの問いに答えるには、極力私心を離れるという努力が要されるでしょう。これとて一筋縄ではいかず、決して容易なことではありません。ありませんが、だからと言ってこうした努力を放棄すれば、善行が蛮行の正体を現す事態を招きかねないのです。
 立ち止まり、周囲をじっくり見まわして、自らの立ち位置を確認、目を閉じて黙考する。ほんのわずかでもそんな時間を持ってから、物事への意見表明ができるようになりたいと願ってはいるところです。
 さて、第71期もスタートしてはや2カ月が経ちました。
依然として暑さは厳しく、台風や疫病への備えも抜かりなく継続しなければなりません。過去の事例に学び、これまでに得られた教訓、知見や知恵を活かすことが、この時季ますます大切になってくるでしょう。
 「どじょうの蒲焼」も夏を乗り切るための庶民の知恵のひとつでした。各人が各人なりの知恵と工夫をもって心身の健康を維持し、「ものづくり」のひと工程ひと工程に精魂を込めて、一歩ずつ着実に仕事を仕上げていきましょう。
 何よりご自愛のほどを。ご安全に。

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