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第98回「加藤武の友語り」

 10年ほど前、高校卒業後30年の節目に当たる年に盛大な同窓会が開催されたことがありました。記念懸賞論文の表彰、記念講演会、それにオリジナリティー溢れる「記念品」の寄贈などなど、懇親会以外にも沢山の行事が実施されたのですが、これらの行事は、何も我々の卒業年次の者に限って独自に企画立案・開催されたものではありません。そうではなくて、当該年に卒業30年を迎えた卒業生達によって必ず実施されるイベントであり、故に、その年々で主催者は異なれども毎年の恒例行事、言わば「伝統行事」となっているのです。先輩による運営の仕方を参考にして実施し、それをオブザーバー参加する後輩がまた参考にするというユニークなスタイルは、今後も永く続けていってもらいたいものです。
 この同窓懇親会の冒頭、所謂「物故者」への黙祷が捧げられました。卒業してから30年間のうちに、それは皆それぞれに様々なことがあったでしょう。中には、残念にも病気や事故などの事由によって先に逝かざるを得なかった同級生達もいました。卒業式は門出の日。それ以後各人が各人の道を歩み始めてからの時間には、誰にも語られぬ、それ故に我々の知り得ぬ悲喜や苦楽が奔流の如くその心身に押し寄せたことでしょう。順風満帆ならいざ知らず、艱難辛苦の激流に飲み込まれまいと懸命に踏ん張って耐え、あるいは力尽き、その流れに身を委ねて、抗うことなく帰結へと至る……。現実を前にしてあれこれと想像しているうちにも、特に驚いたことは先ず「物故者」が意外にも多くいたということでした。哀悼の意を込めて静かに祈りを捧げつつも、心中奥底では「ああ、あの人も!」という叫びを上げざるを得ませんでした。幸福と不幸が明暗反転する回り舞台の上で、日々どうにかバランスを保ちながら、自分なりの「生き方」「生きざま」を「追求」していくという営為は、この地上の誰にでも当てはまる行ないではありますが、この舞台を降りるということは、その「追求」を止めるということ、即ち回り舞台の人生に終止符を打つことを意味します。「物故者」として紹介された同級生達は、そうした「追求」そのものを、道半ば、志半ばにして断つことになってしまったのです。本人と、その本人を囲むすべての人々が一体どのような時間を過ごしていたのかについては、当然のこと私などにはわかりませんが、簡単には想像し得ない状況、それでも涙滂沱なるを禁じ得なかったであろうことだけは推して察し得る情況に置かれていたのではないでしょうか。ひたすら頭を垂れて、懐かしき30年前、勉学に、部活動に、学校行事にシャカリキになっていた30年前、くだらぬ世間話に大爆笑する一方で、当時の政治経済問題について大真面目に青臭い議論を交わしていた30年前、何と言っても皆が活き活きと輝いていた30年前に思いを馳せるのみでした。
 懇親会の途中、多くの友人達と久々の再会を喜び、思い出話や近況報告などに花を咲かせていたのですが、恐らくのところ、彼らと私に共通する感想は次のようなものだったと思われます。即ち「既に亡くなった友人達は、何らかの事情があって先に逝き、それがため今日この会には参加できなかった。ただ、勿論彼らの抱えていた事情とは比較できないであろうけれども、今生きている我々とて、程度の差こそあれ複雑で困難な情況に直面しながら何とか毎日頑張っているのが本当のところだろう。それに仲間の中には、どうしても今日は都合がつかずに来れなかった人もいるだろうし、色々な理由があって出席するのに気が進まず敢えて欠席を選んだ人とているに違いない。だとするならば、何だかんだと苦悩や困難を背負いながらも、どうにかこうにか今日この会に参加して、皆と杯を傾けることができただけでも、とまれその分素直に喜ぶべきではないだろうか」。まさしく友人のひとりがこうした見解を語り出したとき、私はそれが一応公平な見方であろうとしてうなずいたのでした。
 高校時代のある友人は、成績優秀にして立派な大学へ進み、のち有名な大手企業に就職したと聞いていました。後年その彼が事故死したことを知り、ご実家に弔問に訪れたことがありました。ご両親のお話によれば、彼は職場の人間関係に悩んで会社を辞め、そののち職を転々としたとのことでした。さらに、ご家族に迷惑をかけるようなことがあったため勘当同然となっていたこともお聞きしました。それでも「自慢の息子でした」と小さな寂しい声で本当の心情を吐露されたのです。私は何ともやりきれぬ心境になり、ビールの供えられた仏壇に向かって語りかけました。「よかったな、やっと家へ帰って来れて……。これで皆と一緒にゆっくり一杯できるよな……」。ひたすら合掌して彼の冥福を祈りました。何ということか!あの笑顔、あの声、あの会話、どれもこれもしっかりと覚えているだけに悲しみは倍化されるようでした。そんな亡き彼の笑い声は、当然のことながら同窓会では聞くことはできませんでしたが、大勢いる参加者の中に彼がひょっこりと混じって立っているような気がしたことも事実です。何だよ、生きてたのかよ!びっくりさせるなよ……でも、そんなことが言える瞬間なんぞ訪れる訳はなかったのでした。
 友との別れ(永訣)というものは、身内との別れとはまた異なった性質を持つのではないでしょうか。そこには「友情」が関わってくるだけ、多少なりとも他の人との別れとは様相を異にすることになるのでしょう。勿論、誰とであれ別れるのは大変辛いものです。ですから、どちらの別れがどうだなどということを断言するつもりはありませんし、そもそも断言できるような事柄ではないのです。少なくとも人との死別においては、いかなる場合であれ、見送る人の気持ちも、見送られる人の気持ちも、等しく大変辛く悲しいものであるに違いありませんので、誰との別れかによって、その辛さや悲しさの大小、上下、優劣、先後などを比較して問うことはできず、また、そのような比較そのものが全く不適切であることぐらいは普通の感覚を持ち合わせていれば誰にでもわかることでしょう。さはさりながら、どうしても心に残るのが、友との別れに抱くある種の感慨なのです。
 ここで1冊の本を紹介します。市川安紀著『加藤武 芝居語り―因果と丈夫なこの身体』(令和元年 筑摩書房)です。加藤武(1929-2015)は文学座を代表する俳優で、東京生まれ。泰明小、麻布中、早稲田高・大を卒業。文学座の重鎮として活躍し、舞台、映画、テレビ番組など多数に出演しました。その加藤本人から市川が聞き書きしてまとめたものが本書です。加藤の生い立ち、演劇と文学座、映画の世界、名女優・杉村春子、愛すべき先輩・後輩、生涯の友人達などについてが、彼の「竹を割ったようなさっぱりした人柄と、威勢の良さと照れが入り混じった下町育ちらしい率直な語り口」を通して次から次へと縦横無尽に語り尽くされています。まるで目の前で加藤が話しているような臨場感に溢れ、小気味よいテンポの「話芸」についつい引き込まれてしまうという、まさに興味の尽きぬ本なのです。その中に盟友・小沢昭一の話が沢山出てきます。小沢は『小沢昭一的こころ』でも有名な俳優で、特に説明は不要でしょう。その小沢と加藤は、どちらか先に死んだ方の弔辞を読もうとお互いに約束していました。先に亡くなったのは小沢でした。以下、少し長くなりますが本文より引用します。「だからね、小沢の弔辞では思いの丈を言ってやりました。〈冗談じゃねぇよ〉って。〈俺が死ぬときはあんたに弔辞を読んでもらう、あんたんときは俺が読むから、北村(和夫)にだけは頼むのよそうね、何言われるかわかんないから。そんな冗談言ってたのに。今、俺が弔辞読んでる身になってみろ!冗談じゃねぇよ、こんなにイヤな思いはなかったよ〉って、こういう言い方したの。残された身になってほしいよ。……ずいぶん昔、小沢が三木のり平さんとラジオで対談してたことがあってね。小沢が死んじゃって、この間うちそれが再放送されてたんだけど、ちょうどフランキー堺が先に逝った頃だったと思うんだ。そしたらそこで小沢が〈長生きするってことは、ま、友達をなくしてくってことですね〉なんて、サラッとしゃべってんの。この言葉は堪(こた)えたなあ。ガーンとショックを感じた。参ったよ、そのまんま俺のことだもん」。加藤は葬式の最中もまだ盟友の死を信じられず、「夢なら醒めろ!」とぐじぐじ思っていたといいます。焼き場でもつい「小沢、日本一!」と掛け声をかけてしまい、骨上げした後も呆然としていましたが、しかし小沢の息子さんの挨拶が素晴らしかったので自分としても踏ん切りがついたと回想します。「ここまでやって来られたのはおふくろのおかげです」という母親、つまり小沢の最期を看取った小沢夫人を讃える挨拶だったのです。それを聞いた途端、加藤は「あああ、小沢は死んだのか」と遂に心中受け容れざるを得なくなったのでした。この一連のストーリーを読むにつけ、友と別れた加藤の悲嘆については、ただ「さもありなん」という感慨が浮かぶばかりです。
 どんな話をしていても、どんなことに気を取られていても、どんなことに浮かれていても、やはりよくよく考えてみれば、詮ずるところ人間の最大の「関心事」は、人の生死と幸不幸に行き着くのでしょう。このテーマについては、考えれば考えるほど答えのない沼にはまり込み、心が重くなっていくようで、本当のところは普段あまり考えたくもないのですが、それでも考えざるを得ないのが、また人間の性(さが)、宿命というものでしょうか。
 道端にぽつねんとある石ころを見ても、木から散り落ちる枯れ葉を見ても、また普通の日常生活を送っている人々の何気ない普通の営みを見ても、くだんの「関心事」が瞬間ながらその姿を見せるのです。だからそれを考えることからは逃れられない!しかし、どうあっても逃れられないのならば、それならそれでとことんまで考えてやろうと開き直り、正面から向かい合い続けるのも、ひとつの「あり方」ではないかなどと思う次第。それでは加藤ならどう言うでしょうか。「でもねぇ、正直な話、悲しいのはイヤだよね。どんだけ大人ぶって分別臭い理屈並べたところで、悲しいもんは悲しいんだよ。泣けてくるんだからしょうがねえじゃねえか。そんなときに無理に涙をこらえるなんてなぁ不自然だよ。自然に涙を流すほうがよっぽど人間らしいってもんだ」……こんな風に言い切ってくれるような気がします。確かに「もののあはれを知る」人々のさきわう国には、それが全くもって相応しい姿なのであると信じるべきなのでしょう。
 来月9月は「長月(ながつき)」です。当期第73期は2ヵ月を終え、令和6年は残すところあと3分の1となります。時の流れは思いのほか速く、もうしばらくすれば、夏と秋の境界を迎えることになるのです。
 とは言え、まだまだ暑い。酷暑という厳しい自然環境にあって体調をコントロールし、しかも仕事を安全のうちに見事完成させなければなりません。そのためには、職場を同じくする者同士が、お互いに目配り、気配り、心配りを心掛け、小さな異常や小さな危険をむしろ大袈裟なくらいに捉えて早期に対処、問題解決を図るにしかずです。これはまさしく「言うは易く、行うは難し」なのかもしれませんが、先ずは何より「そうあるべき姿」を意識することから始め、残暑を乗り越えていきたいと思います。
 それと自然な感情を大切にして。ご安全に。

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