IWABEメッセージ
Messages
第103回「日記というもの」
「をとこもすなる日記というものを、をむなもしてみむとてするなり」(男性も書く日記というものを、女性の私も書いてみようと思って書くのです)。これは日本最古の日記文学作品とされる『土左日記』の冒頭部分です。作者は平安時代の貴族で、『古今和歌集』の撰者でもある紀貫之です。紀貫之は男性ですが、当時は男性が真名(漢字)による漢文(真名文)を、女性が仮名(ひらがな)による和文(仮名文)を書くことが一般的であり、日記文を書くには仮名文の方が適していると判断したことから、敢えて書き手を「女性」として『土左日記』を執筆したのでした。内容的には、貫之が赴任地の土佐国(現在の高知県)から都へ帰るまでに起きた出来事が記された紀行文となっています。かの「もののあはれ」という言葉が文中に使用された作品としては、この『土左日記』が最も古いとされます。土佐の地であった様々な出来事を思い出し、名残り惜しんで感慨に耽っていると、自分で用意した酒をかっくらっている船頭が無粋にも出航を急かす場面です。「楫取(かじとり)もののあはれもしらで、己し酒をくらひつれば、はやく往なむとて、『潮満ちぬ。風もふきぬべし。』とさわげば、船にのりなむとす」。この『土左日記』の他にも平安期には著名な日記文学がありますが、ここでは『紫式部日記』について少し触れてみることにしましょう。
『紫式部日記』は、『源氏物語』の作者である紫式部が中宮彰子に仕えた期間のうち、寛弘5年(1008年)から1年半ほどの間の宮中での出来事、自己分析、人間観、人物評などを内容とし、特に中宮彰子が敦成親王を出産するまでの場面については、実に詳細かつ活き活きと描写されています。この場面の一部は、赤染衛門による歴史物語『栄花物語』にそのまま引用されているというのも興味深いところです。興味深いと言えば紫式部による人物評で、宣旨の君や宰相の君などの中宮付女房達だけでなく、和泉式部や赤染衛門、それに清少納言も対象としています。特に清少納言評は辛辣です。少し長くなりますが引用して意訳してみます。「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしらだち、真名書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり。かく、人にことならむと思いこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らむ」(清少納言こそ、偉そうな顔をしてとんでもない人です。そんなにも賢いふりをして漢字や漢文を書き散らしているものの、よく見てみると、まだまだいい加減で能力不足なのです。このように、好きこのんで周囲とは違うのだと思い込んでいる人は、必ず見劣りして、結果としてろくでもないことになってしまうものです。ですから、優雅を気取ったりする人は、全く大して面白くも無いような場合にも、情趣を感じようとしたり、興味深いことを見逃さないようにしようとするので、そのうち放っておいても的外れで意味の無いようなザマになってしまうでしょう。そんな風になってしまった人の成れの果ては、どうして良いものになるでしょう)。その上で紫式部は、自分なんぞ大した取り柄はないけれども、少なくともそんな清少納言のような人間ではないのだと思うのでした。何という強烈なライバル心、敵愾心、いやもしかしたら嫉妬心か。紫式部の怒気や執念すら感じる清少納言批判は、千年以上の時を超え、今もなお日記の中の言葉ひとつひとつを通して鮮明に伝えられているのです。
日記そのものは、時代を問わず、洋の東西を問わず、職業を問わず、また男女を問わず書かれてきたものです。老いも若きも問いません。普通の意味での日記、即ち個人的な日常記録としての日記だけでなく、文学作品として扱われる日記もあります。個人的な日常記録が後々公けになって文学作品にまで高められたという場合もあるでしょう。また、事実上の私小説や、日記体の創作も文学作品としての日記と言えます。文学作品としての日記は、上述の『土左日記』や『紫式部日記』を始め、沢山あり過ぎて枚挙に暇がありません。近現代の作品にしてもまた然りです。ただ、いずれの作品も、日常生活感に溢れ、素直な心情が赤裸々に描かれ、それ故に身近に感じられ、親しみ易く読み易いという特徴を持つと言えましょう。
では、文学作品としての日記ではなく、個人的な日常記録としての日記とはいかなるものならん。ここは私自身の思い出話から始めさせていただくことにしましょうか。
それこそ小学生くらいの頃には、長い夏休みのうちのほんの数日分の出来事を、ほとんど絵をメインにして書かされた「絵日記」なるものがありましたが、これは所詮宿題の一つとして提出されたに過ぎず、内容的には時に「虚実不明」ですらありました。中学生になると、当地方の方ならご存知の「若あゆ日記」が登場します。これは、毎日生徒が「若あゆ日記」という日記帳にその日の出来事などを書き、翌朝担任の先生に提出、先生はそれにコメントを付して下校前の生徒に返すというもので、先生と生徒間における一種の「交換日記」のようなコミュニケーションツールでした。勿論、先生に読まれることが前提となっているので、(将来はどうであれ)一応は自分自身の内で完結させることを想定した「秘密文書」とは異なりますが、今現在の自己を顧みて文章化するという意味では一定の役割を果たしていたのでしょう。(私なんぞは、先生にクイズ問題を出して答えてもらったり、英文小説を翻訳してもらったりしたこともありましたが。)それから齢を重ねたのちのこと、日々記す手帳や備忘録の類い、就職後その日その日に覚えた仕事内容をメモしたノートなど沢山ありますけれども、これらも性質的には日記に被るところが多いのかもしれません。勿論、始めてからもう何年になりますか、私自身、個人的な日常記録としての日記を毎日つけ続けています。まさしく日課としての日記であり、自身のためだけに綴る日記です。
ここでもう一度まとめてみると、そもそも普通言われるところの日記というものは、その日にあった自身の出来事、社会の事象、あれこれ思い考えること、喜怒哀楽を伴なう感想や主張、今後の予定や予想などが、思いつくまま自由に書き綴られる記録文書です。また、何であれ本来的に日記というものは、飽くまで手元に置いておくだけのもの、即ち、自分(「交換日記」ならば当事者間)以外には原則「マル秘」とされるものであり、それとは逆に元々他者の目に触れることを前提とするとなると、日記としての性質や位置付けが大きく変わってきます。前者ならば、筆者が生存中に処分してしまうか、少なくとも死後になって初めて限られた身内にだけ目を通すことが許されるくらいのものでしょう。後者ならば、その中には(出版を企図されたものも含めて)文学作品としての評価を得ることにもなりそうなものが散見されるかもしれませんし、後々世界の歴史に重大な影響を及ぼすような資料に「化ける」ものも潜んでいるのかもしれません。
そうしたことはさておき、先ず日記は、特別な事情がない限り、基本的には毎日書かれるべきものであるという点にこそ言及すべきでしょう。文量は関係ありません。一行でも、一言でもよいのです。かつて断頭台の露と消えたフランス国王ルイ16世は、かのバスティーユ牢獄が襲撃された当日にも日記をつけていましたが、ただ「今日は何も無し」としか記さなかったといいます。国王の性格の故かはわかりませんけれども、フランス革命の激流と隔絶しているかのような一言が、逆に人間の歴史の冷酷さと狂気の凄まじさを際立たせていると感じざるを得ません。しかしながら、くどいようですが、国王であれ平民であれ、毎日記す、これが日記です。言葉どおり「日々」の「記録」なのです。文量だけでなく、文体も問いません。漢字、ひらがな、カタカナ、横文字、何をどう使おうと書き手の裁量、任意、勝手気ままです。どのようなスタイルであれ、倦まず怠らず日々書き続けることに意味があるのです。ということは、書き記すことが習慣になっていなければならなくなります。三日坊主に日記は馴染みません。それに日記は間違いなく記録です。ですから、折に触れて読み返してみれば(読み返さないという選択肢もありですが)自分のこれまでの歩みを振り返ることができます。すると、今にして思えば「ああ、何と浅薄で軽率なことであったか」と反省すること頻りになったり、その反対に「いやいや、よくがんばったものだなあ」と自分ながらに感心したりすることもある訳で、まあ、それもこれもひっくるめて「色々なことがございました」などと妙なまとめ方をするうちに、感傷と懐古の時を過ごすことになるのです。
しかし、日記は単に懐古の道具に過ぎないのでしょうか。勿論、日記を読み返す時、その内容は過去の記録に他なりません。では書いている時はどうか。まさしく書き記すことに没頭している「今現在の」日記とはどのようなものなのか。明らかなこと、単に手元に置かれた古文書ではないでしょう。今日も書き、明日も記し続けるであろう現在進行形文書に他ならないのです。もう少し深掘りしてみると、日記とは、来し方を振り返り、記録を通して記憶や思考、それに揺らめく心の模様を整理する、また行く先に思い巡らし、想像を重ね、時に決意して歩むべき道の方向を模索する、終わりなき営為の記録であると言えます。明日も必ず行なわれるに違いない、この「整理」と「模索」の営みは、自らの人生だけでなく、それこそ全宇宙に展開する時空間の座標軸によって形成される象限のうち、今現在の自分が一体那辺に立つのかを探求し、確認しようとする試みでもあるのでしょう。過去を記憶し、未来を語る「当の本人」の現在を表す「言の葉の集まり」、それこそが日記というものの本当の姿なのではないかと考えます。
かくして、今日もまた私は日記帳に向かい、あれこれ思案を巡らせつつ、お気に入りのペンを走らせて、1文字1文字楽しんで書き記し、表現欲を満たすことにします。それに本当のところ、文字に仮託して自らの思念を吐露することで、心のうちにささやかな平衡がもたらされるのを期待しているのです。
令和7年の干支は「乙巳(きのと・み)」です。「きのと」とは、いかなる困難に遭遇しても、ぐっとこらえてそれを跳ね返そうとするさまを表し、「み」とは、脱皮(因習を離れ、新風を吹き込む)を繰り返し、力強く変化していくさまを意味します。新型コロナウィルス感染症による混乱、自然環境の変化、円安、物価高、人手不足、その背後にある少子高齢化、個人と社会それぞれの有する価値観の変容等々、我々の周囲には常に困難が立ちはだかっており、それを克服できるかが試されています。「乙巳」の意味合いをよく弁え、皆の底力を結集して難事を乗り越えていきましょう。
新年を迎え、また第73期の後半戦に入り、何より願うことは皆さんの健康と作業安全です。来期以降を見据えつつも、先ずは手元・足元・上下左右注意です。安全最重視にて地道に職務を励行し、会社の信用・信頼を少しずつ高めて、一層の社業発展を期しましょう。
今年も何卒よろしくお願いいたします。ご安全に。