IWABEメッセージ
第41回「大向う」
先頃、名古屋の御園座で「第五十回記念 吉例顔見世」と銘打って歌舞伎が公演されました。当社もかねてよりご縁があって協賛させていただいたところです。今年は、片岡仁左衛門、中村梅玉、中村獅童などの豪華俳優陣が、昼夜2部の舞台を通して、新歌舞伎や狂言などの作品を、時に華麗に、時に豪快に、時に滑稽に、また時に哀感たっぷりに演じました。浄瑠璃、唄、三味線、笛、大小鼓の演奏に加えて、劇場全体に響き渡る「柝(き・拍子木のこと)」の甲高い音、演者が舞台の「板」を力強く踏み叩く重厚な響きも相俟って、観客は目前にする見事な伝統技芸に魅了され、引き込まれて惜しみない拍手を送りました。新装2年目、歴史ある劇場でありながらも同時に初々しさと清潔感を保ち続けている御園座ならではの演し物でした。さすが東海地区を代表する華やかな劇場であるなと改めて感じた次第です。
観劇していると、俳優が登場したり退場したりする時、また俳優が演技の見せ場で見得を切った時、もっと言えば柝が入った時などに、その瞬間を逃さず絶妙の間で大声で叫ぶ観客がいます。俳優に向けて「掛声」を掛けているのです。大体が俳優の屋号を叫ぶのですが、例えば片岡仁左衛門には「松嶋屋!」、市川團十郎には「成田屋!」、松本幸四郎には「高麗屋!」、尾上菊五郎には「音羽屋!」、中村勘三郎には「中村屋!」などと掛声を発します。屋号がない場合、例えば歌舞伎俳優以外では、森繁久彌には「森繁!」、森光子には「森!」というように名字を叫ぶことがありますが、そもそも「屋号とは何ぞや」という問題についてはここでは省略したいと思います。勿論、屋号以外では「待ってました!」とか「十八代目!」等色々な掛声を挙げることができますけれども、どんな掛声であれ、俳優への最大の賛辞であり、声援であり、場合によっては叱咤激励でもあって、まさしく贔屓筋の感激の発露、強い感動の伝達に他ならず、決して野次や妨害行為ではありません。言い方によっては、この掛声があって初めて、総合芸術たる舞台・演劇は全体として完結し、最高潮へと導かれるのでしょう。
これだけ大変な意味のある掛声ですから、誰でもむやみやたらに掛けてよいものではありません。歌舞伎に関する造詣が深いことは当然、しっかりとした程よい声量と、タイミングを見逃さぬ鋭い感覚が求められるため、本来であれば掛声は見巧者(みごうしゃ。観劇のツウ)の専売特許と言ってもよいぐらいです。何故と言って、ツウぶった素人の真似事では、逆に劇の進行を妨げ、観客のみならず俳優自身をも白けさせてしまうだけだからです。これでは劇は完結しないのです。確かに、素人が掛声を掛けることを禁じるルールはないでしょうが、ルールがないからと言ってやりたい放題のことをしてしまったのでは野暮の極みと呆れられても致し方ないところでしょう。「恥」の感覚を持ち合わせているのならば、演劇に対する無礼かつ身勝手な振る舞いは、客席の一隅を占める者として厳に慎むべきです。必ずや自分なりの思慮分別ある楽しみ方があるはずです。
こうした掛け声を掛ける人々のことを「大向う(おおむこう)」と言います。舞台から眺めて一番遠くにある最上階席(一幕限定観覧席の「幕見席」を含む)が「向う」とされ、それ故に、そこから掛けられる掛声、または掛声を掛ける観客自体も「向う」となるところ、俳優から観客への敬意を込めて「大向う」と称される訳です。1階最前列の特等席ではなく、最も舞台から遠いところに陣取るツウにこそ高く評価されるほどの名演技を見せつける俳優が「大向うをうならせる」役者だと言われる所以です。この辺の話は、元NHKアナウンサー・山川静夫の著書『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』(平成21年 講談社)に詳しいところです。
山川は、國學院の学生の頃から歌舞伎の世界にのめり込み、東京は歌舞伎座に通いつめたり、舞台収録のレコードを聴き込んだりしていたそうです。友人も大の歌舞伎好きが多く、一緒になって歌舞伎座3階席から「播磨屋!」「大播磨!」などと掛声を掛けていました。玄人裸足の大音声を張り上げていたところ、それこそ玄人の目に留まり、「大向うの会」への入会を認められたのでした。俄然俳優たちとの距離も近くなり、交流も深まったといいます。山川はまた、十七代目の中村勘三郎の声色(ものまね)が得意で、素人演芸会のような企画に参加しては賞を獲得していたのですが、それを勘三郎本人が聞いて感心し、その上、山川を黒子として舞台へ引っ張り出し、山川に自分の声色をさせて観客の注意をそらしている間に早変わりをやってのけ、場内を大いに驚かせたという逸話まで残されています。
それほどまでに歌舞伎一色だった学生生活も終わりを迎え、山川はNHKのアナウンサー採用試験に合格、初任地の青森放送局へ赴任することになりました。青春の思い出の地・歌舞伎座、その歌舞伎座で観客を魅了し続ける俳優陣、歌舞伎座を力強くも優しく支える数多の裏方さん達、それに何より「大向う」の仲間といった思い出の人々。彼らとは、何と温かな交流ができたことか、何と充実した時間を共有できたことか、何と貴重な見聞を重ねることができたことか。どれもこれも鮮明に記憶されている珠玉の体験であり、自分自身の人格形成に決定的に影響を与えてくれた「僥倖」であったのだ……と山川は実感していたに違いありません。
遠く離れた東北の地へ旅立つ前に訪れた歌舞伎座では、丁度大病のために休演していた勘三郎が復帰公演する初日でした。「大向う」は皆、「中村屋!」「待ってました!」「おめでとう!」と威勢よく声を掛けます。この掛声と万雷の拍手が、舞台で再出発する勘三郎への声援であると同時に、社会人としての門出を迎える自分への祝い花火のように感じたと山川は述懐します。いよいよ上野駅からの発車を待っていると、彼は中国の王維による漢詩の一節「陽関を出づれば故人無からん(陽関という関所を越えてしまったら、もう昔から親しくしている君のような友人とも会えることはないであろう)」の心地がして涙が込み上げてきたのでした。人生におけるひとつの別れだったのです。何とも寂しくて悲しい、切なくてやるせない瞬間です。勿論、周知のとおり、彼は後年東京へ戻ってからは、NHKの看板アナとして大活躍し、邦楽などの伝統芸能を扱う番組の司会者にもなったのですが、上野駅で涙した日には、そんな将来は全く想像すらできなかったことでしょう。ひとつの幕が下り、ひとつの幕が上がろうとした日のことでした。
長く慣れ親しんだ場所、長く活動を共にしてきた人、もっと言えば長く続いてきた境遇との別れは、誰にでも訪れ得るものです。その別れを起点なり端緒として幸福を迎えられるのか不幸のどん底に突き落とされるのかは別として、必ず何らかの別れには遭遇します。かつて薬師丸ひろ子が「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束……」と歌っていましたが、来世のことまで視野に入れれば格別、必ずしも再会が約束される別ればかりではないでしょう。しかし、いずれにしても、そうした別れは人生で不可避であり、次なる環境・世界へ進むために通らなければならない関門、昇らねばならないステップであることは明らかです。次章へ移るための、または次幕を開けるための「節目」と表現してもよいでしょう。別れは節目。節目がなければ次なる成長は望めません。従って、別れに起因して滂沱の如く涙を流しても、底なし沼で喘ぐような苦悶に苛まれても、それを克服していくしかないというのが、悲しいかな我々人間の宿命であると知るのみです。
卒業式に師や友と固い握手を交わして深く一礼し、滲む涙をこらえつつ皆に背を向けて歩き始めた瞬間や、自己の人生に色濃く関わった人を看取ったり見送ったりした刹那ばかりではなく、全く自分では気付いていなかった人間的つながりが、ある別れをきっかけとして偶然にも表出したというような時点もまた大きな節目となります。考えてみれば、毎日毎日、毎月毎月、毎年毎年、同じことの繰り返しのようで実はどれとして全く同じという事象はなく、その意味で常に新しい事態が連続して出来しているのが日々であり、別の言い方をすれば、衝撃的で重大な別れだけではなく、あったことすら気付かぬほどのささやかな別れまでも含めた無数の別れに遭遇し、他方それに匹敵する数量の出会いも経験しながら、我々は時間の流れを彷徨っているのです。しかし、その別れと出会いが交互に生成・消滅する激流の只中にあっても確実に存在する節目こそが、己の貴重な「よすが」として、折に触れ「生きる力」というエールを送り続けているのだと思います。まるで「大向う」がありったけの声を振り絞って掛声を掛けるように。掛けられた上は、相手をうならせるほどの立ち居振る舞いを堂々と見せられるのであれば、それは何と素晴らしいことでありましょうか。
思索に耽るに相応しい時季にありながら、あれやこれやと書き連ねても、「大向う」のように絶妙の間を見逃さず、自分の考えるところを明瞭かつ効果的に伝えきれないさまに嘆息することしきりです。それにもまして「大向う」をうならせるほどの筆力には全く及ばず、修行不足を痛感するのみですが、只々今回の緞帳が下りるまでお付き合いくださった皆様には心より感謝申し上げる次第です。
さて、ひとつの季節が終わり、故に次の季節を迎えます。寒さと乾燥は人間の抵抗力・免疫力を低下させるので病気に罹りやすくなるということは周知の事実ですけれども、それを防ぐための万全の体調管理というのはなかなか難しいことです。できることからこまめに励行する、これしかありません。
令和元年もあと1ヵ月ほどになったということは、今期も半分が終わりつつあるという事実を意味します。先ずは今年末までの健康管理と災害防止に努め、受注も施工も抜かりなく取り組んでいくことが肝要です。一層気を引き締め、各人の力を結集して前進し続けていきましょう。ご安全に。