IWABEメッセージ
第51回「かもめは大空をたゆたう」
先日のこと、元信金の重役で、現在でも旅仲間、飲み仲間でもあるYさんからCDを頂戴しました。映画『砂の器』の音楽集で、私が以前に「あの映画の中で流れる『宿命』という曲はいいですね」と話していたのを覚えていてくださったのでしょう。
映画『砂の器』は、松本清張の同名推理小説を、野村芳太郎の監督で映画化したもので、劇中音楽については、音楽監督・芥川也寸志、作曲・菅野光亮という強力布陣が担当しました。加藤剛、丹波哲郎、緒形拳、加藤嘉などの名優達が揃って出演、その扱われるテーマと同じく作品を重厚なものとしています。テーマとは、まさしく殺人事件とハンセン病を巡る人間の「業」と「宿命」であると言ってもよいでしょう。厳しく悲しい現実に直面した人間達が、家族として、また社会の一人として苦悩の末に選択した行為が、各々にどのような報いをもたらすのか。容易には答えられぬ、極めて複雑かつ難解な問題です。
映画のストーリーはこうです。本浦千代吉と秀夫の父子は、千代吉がハンセン病に罹ったために迫害を受けて村を追われることになり、諸国巡礼の旅に出ることになりました。ハンセン病は、今でこそ治療法が確立されて完治するものの、戦前の当時は罹患すれば酷い差別と迫害を受けたのです。お遍路回りの途中にも差別と迫害は続き、とうとう千代吉の体力が尽きてしまって途方に暮れていたところ、巡査の三木謙一に父子は助けられます。三木は不幸な父子のために親身になって奔走し、千代吉を療養所に入れ、秀夫を手元に置こうとしました。しかし、秀夫はすぐに姿を消し、行方不明となってしまったのでした。その後、秀夫は、大阪大空襲の混乱に乗じて戸籍を新たに作成し、「和賀英良」と詐称して、自分の過去すべての抹消を謀ったのです。時は流れ、和賀英良こと本浦秀夫は天才ピアニスト・作曲家に成長して人気絶頂となり、有力政治家の令嬢との婚約も予定されていました。そんな順風満帆の秀夫のもとに、かつて巡査だった三木謙一が現れます。「親父さんはまだ療養所で生きている。会ってやってくれ。どうして会わない。それなら首に縄付けてでも会わせる」と秀夫を説得するのですが、会おうものならこれまで築き上げてきた地位も名誉も一度に失ってしまうと恐れた秀夫は、ついに三木を殺害してしまいます。ここからこの殺人事件についての地道な捜査が始まります。警視庁捜査一課警部補の今西栄太郎ほか刑事達は、執念の捜査により和賀英良に辿り着き、彼のピアノ協奏曲「宿命」の演奏会終了直後に本浦秀夫を逮捕するのです。ここではストーリーの説明のために、映画での展開順序とは逆になってしまいましたけれども、実際にはこの「宿命」のメロディーが流れる中で、これまでの本浦父子の筆舌に尽くしがたい、艱難辛苦の日々が描かれていきます。感動のクライマックスです。
どこの街の名画座だったか、空席ばかり目立つ劇場の中で、テーマの重さ故に、単純に「感動した」というだけでは済まされない、何とも言えぬ「割り切れなさ」を心の内に覚えたものです。俳優の熱演に涙して当たり前の瞬間に、ゲラゲラ笑いだした「馬鹿者」が場内にいたため「注意」しましたが、恐らくのところその「馬鹿者」以外の観客は皆、同じ「割り切れなさ」を感じていたはずです。その「割り切れなさ」に懊悩し、非情な「業」の現実に苦しまなければならない状況が、見事に音楽として表現されたのが、上述した曲「宿命」なのです。人間の宿命の「冷厳」を、激しく、悲しく表現する名曲です。CDを再生しながら瞑目し、名場面の数々を思い出しました。そんな時、私は、映画とは全く関係のない、もうひとつ別の情景を思い出したのです。今回の本題はここから始まります。
東京の西新宿にある会社に勤めていた頃、「仕事帰りに一杯」と言えば、シティホテルの高級店は別として、ビル地下の飲食店街や新宿西口の「思い出横丁」(別名「ションベン横丁」、略して「ション横」)ほか何軒かの飲み屋がありましたが、やはり店の数やバラエティという点からすると、圧倒的に新宿東口、つまり歌舞伎町界隈へと足を向けたものでした。JRの高架下を横切って東口へと抜け、先輩上司とあれこれ四方山話をしながら目的地に向かってテクテクと歩いていきます。お目当ての店は、新宿区役所隣の雑居ビル6階にある小さな「スナック」です。ここでは店の名前を「K」とし、店主(ママ)の名前を「Sさん」とします。愛称は「たみちゃん」。私よりは人生の先輩でした。
「K」は、カウンターと2つほどの小さなテーブルが置かれた狭い空間でした。それでもいつも沢山のお客さんが寄り集まってきており、銘々お酒を飲みながら会話を楽しんでいました。Sさんは、カウンターの中に立って、お客さんと向き合いながら、ひとり奮闘しています。大騒ぎする者はおらず、皆「紳士的に」時間を過ごしているようでした。後で聞いてみると、かなりの肩書をお持ちの方も見えたようです。そんなことはおくびにも出さない方々を含めて、ごく普通のサラリーマン達が、それぞれの人生を抱えながら談笑しているその場所は、決して気取った店ではなく、また気取ることなんぞ自分には似合わないと素直に自覚する人々が集う空間でした。その空間で時間を共有し、心を開放して、日常の悲喜を吐露したり、傷や空白を埋め尽くそうとしたりしたのです。
Sさんはシャンソン歌手で、時々我々に歌を披露してくれました。その方面には詳しくないため曲名などはわからなかったのですが、程よく酔いを覚えつつ聞く歌声は実に美しく響き、音楽の波に引き込まれていくような、とても贅沢で幸せな気分を味わせてくれました。それにSさんには凛としたものがありました。偉ぶらず、明るくて親しみやすく、それでいて確固としたプライドを内に秘めていました。プロ歌手としての自負と過ぎし方の経験と今を輝く希望がそうさせていたのかもしれません。
ある日、お店の棚に映画『砂の器』のサントラCDが置かれているのを見つけました。「この映画の『宿命』は名曲ですよね」と私が言うと、Sさんはそれを快く店内で流してくれました。シャンソンの時とはまた違ったムードに店内は満たされ、自然と皆沈思しています。この時の情景を想起させてくれたのが、まさしく偶然にも先日Yさんから頂いたCDであり、収録曲「宿命」だったのです。
実は15年ほど前に久々に新宿に出かける機会があり、「K」へ寄ってみたことがありました。しかし、既に「K」はなく、テナントには別の店が入っていました。確かに、あれから随分月日が経っているので、そういうこともあるだろうとは思いましたけれども、実に残念でした。その時からさらに月日を重ねてから聴いた「宿命」。その時ふとSさんのことを思い出したのです。同時に、大分以前に「K」は閉店していたものの、Sさん自身は今どんな活躍をされているのかが無性に知りたくなりました。そこで先ずはネット検索にて調べてみることにしました。すると、2つの衝撃的な記事を目にしたのです。
そのうちのひとつの記事は、ある山岳同好会の会報に掲載されていたものでした。「難病に侵されながら最後まで歌ってくださったシャンソン歌手のSさん」。難病?最後まで?一体どういうことなのか。早速会報発行者の方に連絡を取って事情を説明し、寄稿者に確認していただきました。お返事は、「Sさんは白血病のために10年ほど前に亡くなりました。亡くなったことは確かです」というものでした。唖然、呆然。その瞬間、楽しかった昔の思い出が一遍に悲しみの色に染まっていくのを感じました。
ところが、もうひとつ別の記事を見つけました。それは今から3年ほど前に東京の目黒区にある寺院で開催されたイベントの映像でした。そこには「Sさんコンサート」と題が付けられており、地元出身作曲家の童謡がアカペラにて歌われている様子が記録されているのです。着席したまま歌っているのは体調がよくないからかな、などと勝手に想像しましたが、映像のSさんは、思い出のSさんとは少し体格が違うような気がした一方、面影は残っているようにも見えましたし、何よりその歌声は記憶しているそれと同じように思われました。
果たしてSさんはもう亡くなっているのか、それとも現在も歌い続けているのか。10年ほど前に亡くなったとされるSさんと映像のSさんは同姓同名の別人なのか。山岳同好会の方の説明は明確なものでした。それだけに映像との関係で真実が知りたくなったのです。すぐさま目黒区の寺院のご住職とメールのやり取りをしたところ、当時のイベント主催者の方をご紹介くださることになり、さらに末尾には心優しい応援の言葉を添えていただきました。どうにかイベント主催者だった方に連絡がつき、記憶を頼りに昔の担当者の方に事実確認していただけることになって、後日その結果をお電話にて伺いました。
Sさんは、今も懸命に生き、新しい道を歩んでいました!思い出のSさんと映像のSさんは同一人物だったのです。「亡くなった」というのは誤情報でしたが、これも何らかの訳があってのことだったのでしょう。現在は諸般の事情で連絡は取れないものの、いずれあの歌声を聞ける日が来ると信じています。
それにしても、一体自分は何をしているのであろうか、もうこの辺でお終いにして、これ以上先には踏み込まない方がよいのではないか……。私はただ、よき時代のよき思い出だけを理由に、Sさんのその後を知ろうとしましたが、それはやはり思い出までにとどめ、ひとの人生に関わる僭越不遜な詮索は避けるべきだったのかもしれません。私は警察でも探偵でもなく、また学究のために無限に扉を開け続けているのでもないのです。ツケが残っている訳でもなく、麗しい思い出が残るのみの「ただの昔の客」です。こう思うに至ると、もはやSさんは生死を超えて私の心の中で歌い続けてくれているような気がしてきます。……Sさん、本当にありがとう。これまでの人生のほんの一瞬でしたが、賑やかで、微笑ましく、心温まる素敵な思い出をプレゼントしてくれて心から感謝しています。まるで大空を悠然と飛び続けるかもめのように、今日もまた、はるかかなたのどこかから、たゆたいながらも届けられる美しく優しい歌声に乾杯。
第69期の第1コーナーを終え、第2コーナーに入ろうとするにあたり、改めて申し上げたいことは、その一作業、その一言、その一出会い、その一瞬を大切にしていこうということです。一期一会と言い換えれば簡単なのですが、日々のひとつひとつの出来事は、その場限りの出来事で、再生も繰り返しもできません。その積み重ねが今であり、明日へつながるとするならば、限りなく意義ある目前の「ひとつひとつ」を丁寧にこなし、仕上げていくにしかずです。そのためには、先ず自らの足元手元をしっかりと確認してから前を臨むべしという大原則を都度意識しなければなりません。その上で、全員揃って着実に歩を進めていきましょう。
季節の変化を感じるこの頃、一層のご自愛を。ご安全に。