IWABEメッセージ
第69回「無きところにあるもの」
毎年恒例のお伊勢参りは、混雑を避けるため深夜に出発し、先ず外宮、そののち内宮へと向かうことにしています。未明のおはらい町では開いている店はほとんどなく、日中に比べれば人通りはまばらです。冷え切った夜風に身を縮こませながら足早に歩を進めると、実に見事な大鳥居が見えてきます。俗と聖の境界に厳然と立つ大鳥居は、けばけばしい装飾の類は一切排しているだけに清潔さと美しさが際立ちます。一礼して大鳥居をくぐり、五十鈴川に架けられた宇治橋をゆっくりと渡っていくと、先方に立つもうひとつの大鳥居が視界に入ってきます。川を渡る前に立っていた大鳥居は外宮・旧正殿の棟持柱が、また先方の大鳥居は内宮・旧正殿の棟持柱が再利用されているという話です。自然の一部である人間、自然とともに歩む人間、自然を大切にする人間、そんな人間の姿を尊ぶ「道」。古来日本人は、この「道」を歩むべきところとして見定めてきたはずです。
宇治橋から眺める夜のご神域は、言葉どおり漆黒の世界で、それが故に神々への畏怖と畏敬の念は一層強くなります。五十鈴川の川面も、僅かにきらきらとしたゆらめきが見られる程度で、その流れは幽かに認識されるぐらいでした。その時にふと気付きました。夜のしじまに聞こえる音。その中には参拝客の歩みや息遣いの音もあったでしょう。しかし何より耳に残るのは、五十鈴川のせせらぎだったのです。耳を澄ませば、やさしい、小さな音が聞こえてきます。穏やかな清流の音です。川の名前のように、いくつもの鈴が揺れてさやさやと鳴っているようで、心が洗われていく感覚すら覚えます。世界は静寂のうちにありながら、ほんの小さな鈴の音がその静寂をさらに際立たせているのです。無音の中に響く音が、むしろ無音そのものを明瞭に認識させてくれるということでしょうか。
京都御所に「聴雪(ちょうせつ)」という茶室があります。石川忠著『京都の御所』(昭和59年 講談社)によれば、茶室「聴雪」は「孝明天皇の御好みにより安政3年増築された杮葺き(こけらぶき)の風雅な数寄屋建築」で、「簡素な意匠に徹した軽やかな造形でそれは当時流行した茶の理想によって探究された造形美の端的な表現」と見てよく、その枯山水の庭は「珍しく枯淡な興趣をただよわせている」とされています。派手さのない、瀟洒(しょうしゃ)な建物や庭園とは言え、要所要所に風雅なこだわり、また雅趣溢れる細工が見い出され、上品で整然とした美しさを看取することができるのです。中の間には近衛忠煕(このえ ただひろ)筆の「聴雪」という立派な額が掲げられ、床・襖・袋棚に描かれた絵は、夏の朝から晩までの時間推移がモチーフとされています。「朝は朝顔に鶏鳴、昼は青梅、夕は三日月に蝙蝠(こうもり)、夜は鵜飼」を描出して時間の流れを表現したのは小田海僊(おだ かいせん)、江戸後期の南画家です。
それにしても、この「聴雪」という名前には、とても趣深いものを感じざるを得ません。「聴雪」、雪を聴く……つまり「雪が降り、またそれが積もりゆく時の音を聴く」ということになりましょうか。ただ、普通に思い返してみて、雪が降ったり、それが積もっていく際に何らかの音を発していると感じることはないでしょう。いや、一切の音を発しないと言ってもよいはずです。それでも、その音を聴くというのです。仮に降雪音や積雪音が発せられているとしても、それを聴くためには尋常ならなざる静寂さと超人的な聴力が求められなければなりません。しかしながら、現実的に考えて、やはりそのような音は、人間自身の聴覚能力をもってしては感知し得ないものなのです。(最新科学技術を駆使した「極小音検知機器」などを開発して数値的に音響を把握できるとしても、それは全く別次元の話です。)とすれば、「聴雪」という言葉が言い表しているさまとは一体どのような状態なのでしょうか。観念的な静寂の極致か、究極の無音か。そのどちらでもありますまい。思うに、それよりもさらに一歩踏み込んだ状態、即ち、耳で音を感じられない静寂のうちに心で音を感じられる境地、これに他ならないでしょう。心で感じる音とは、歴史や伝統の潮流が発する声や息遣いであったり、自然界から伝わる、言葉ならぬ「波」のようなものであったりするのかもしれません。いずれにしても、心で感じるためには、自らの精神状態を冷静に保ちつつ、かつその感度を最大限にしておかなければならず、同時に、音を意図的・能動的に探り出すのではなく、音の方から接近してくるのを有り難く受け止めるという姿勢で「待つ」ことが重要不可欠なのでしょう。そこに至るには、日々日常生活を通しての相当の「修練(discipline)」が要求されるであろうことは私のような凡人にも容易に想像できるところです。
ここで突然ながら、柳生宗厳(やぎゅう むねよし)という武将について少しだけ触れておきたいと思います。柳生宗厳は、いわゆる柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)の祖である兵法家・剣術家で、仏道に入ってからは石舟斎(せきしゅうさい)と名乗りました。息子の宗矩(むねのり)は徳川家康などの将軍家に兵法指南役として仕え、そのまた息子が十兵衛三厳(じゅうべえみつよし)で、これはドラマなどでもよく知られた剣豪です。
この石舟斎による剣術で有名なのが「無刀の位(むとうのくらい)」、またの名を「無刀取り」と言います。自らは武器を持たず、相手の隙を見逃さないでその武器を奪取し、瞬時に相手を制圧する。このように説明されていますが、本来的には、刀にこだわらず、また刀を選ぶようなこともせず、たとえ自らは武器を持たずとも沈着冷静な心境にあって相手に臨むべし、という趣旨のことを伝えているようです。平常心と気迫の双方が絶妙の平衡を保っている状態が想像されます。
柳生石舟斎宗厳。彼に会って、是非とも一太刀交えたいと願ったのが宮本武蔵でした。ここら辺の話は小説や映画でもよく取り上げられて有名なのですが、武者修行中の武蔵が石舟斎を相手に腕試しをしたくなったとしても、それは武芸者の性(さが)として致し方なかったことでしょう。「電光石火」の如き剣術を至上と捉える若武者・武蔵は、鋭い殺気を全身にみなぎらせて老翁・石舟斎に対峙します。そんな武蔵に向かって、石舟斎は武器を持たずに立ち、自らの剣術を「春風の如し」と一言して微笑したのです。そんな石舟斎に圧倒的な気合を感じて、武蔵は打ち負かされます。刀を交えることなく敗北を認め、ただただ己の未熟を恥じ入るのでした。これぞまさしく柳生新陰流「無刀の位」の真骨頂です。個人的には「無剣の剣」という言い方もできるのではないかと思います。
石舟斎が剣を持たないところに剣以上の何ものかを見抜き感じ取った武蔵もさすがです。だからこそ、のちに「二天一流」という二刀流兵法を生み出し、『五輪書』という優れた剣術奥義書を著すことができた訳です。彼は肉眼ではなく心眼で見抜いたのです。肉眼はそこにあるものをあるとして知覚し、心眼は一見そこにないものをあるとして認識するのです。勿論、認識される対象だった石舟斎の極限まで研ぎ澄まされた「剣術の境地」、剣無きところに剣を見せつけた鬼気迫る気迫こそ格別であったのです。「無剣の剣」が剣に勝ったのです。勝利の形式としては最上であると言ってよいでしょう。
五十鈴川のせせらぎは、静寂の中に実際に聞こえる幽かな音響が静寂そのものを引き立たせたという例でした。庭園にある鹿威しの音や図書館におけるひそひそ声にも似たような効果があるものです。何も無いようなところに何かひとつの小さなものを発見すれば、そのものの存在がはっきりするのみならず、そのもの以外の「何も無いようなところ」の現状が改めて強く迫ってくることになるのでしょう。対象を広げれば、青空にたったひとつ浮かぶ白雲にしても、それは色鮮やかに目立つ訳で、故に澄み切った天空の青さがさらに印象を増すという例もあり、音であれ色であれ、何ものかを触媒として一層その特質を強めるのだと言えます。
しかし、「聴雪」や石舟斎の話は、さらに深く難解なテーマを扱っています。端的に言えば、「『無らしきところ』に僅かに存在する『有』を感知して『無らしきところ』を再認識する」ということではなく、「『完全な無』の中に『有』を見極める」ということなのです。つまり、五感に頼るのではなく、まさに「心眼」という鋭敏で繊細な心の働きによって、無音の中に響き渡る音、空白の中に充溢する色彩、理知の中に渦巻く情念、雑然の中に位置する整然等々(この逆もあり)を直接知覚するということです。これは禅問答でも、妄想でも、言葉遊びでもありません。現実にあり得ることなのです。無きところに有る(在る)ものを知る……。五感の先に確かに存在する美の実体、任意や恣意からは超絶した真価……。これらに触れるためには、あらゆる事象を見聞し、学習し続けるだけの時間と執念が要されるでしょう。その先のいずれの日にか、清らかで透き通った心持ちで対象の核心に到達し、見抜くことができるようになるのではないでしょうか。
人間は暗闇に置かれると、何も見えず何も聞こえないことに恐怖を抱くものです。怯えるうちに、本当に自分は何も見えていないのか、何も聞こえていないのかと堂々巡りの疑心暗鬼に陥ることすらあります。ただ逆に、そういう時こそ人間は自らの感覚をフルに働かせて何事かを知ろうとします。加えて上述の修練を経れば、平常の心境のうちに「無における有」や「空における在」を感知できるようになると信じます。そもそも「有」も「在」も「事実」に分類されるのか、「価値」の領域に重なるのかについてまで問い出すと、いよいよ極めて難しい領域へと進入することになってしまいます。この領域について、未熟な語彙力と表現力をもって語ることは実に難儀で、将来の別稿に譲るしかありますまい。
それでも最後にひとつだけ言及すべきは、五十鈴川のせせらぎを今に残し、「聴雪」という名前を付け、無剣をもって剣を凌駕しようとする思慮、意識、心魂を持ち得る日本人と、その日本人が持つ柔らかな感性の素晴らしさへの素直な感動です。大袈裟な表現でも誇張した言葉遣いでもありません。虚心坦懐に、しみじみそう思います。
さあ、4月に入れば第70期も最終コーナーに突入することになります。
第1コーナーであれ、最終コーナーであれ、変わらないのは会社の経営理念・経営方針・行動指針です。それを仕事上具現化するには、皆さんひとりひとりが熟考して肉付けしていくことが絶対不可欠なのです。
「職場は見せ場」です。自分なりに熟考して行動し、当社スローガン「より美しく、より安全に」を実現しようと努める姿が見られる場こそ最大の見せ場になるはずです。自分の職場に、また建造物に見事満開の花を咲かせようではありませんか。目の前を通る人々誰からも安心して讃嘆されるような、まことに美しい花を。プロフェッショナルとしての矜持を抱いて仕事を成し遂げましょう。
先ずはご自愛専一にて。ご安全に。