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第71回「銭湯のひととき」

 歴史大衆小説の国民的人気作家・吉川英治。彼の作品で最初に読んだのが『宮本武蔵』でした。丁度部活動で剣道を始めた中学生の頃のことです。実在の人物や架空の人物が、それぞれに折り重なって生き、また死んでいく……。兵法者故の厳しさと人間誰もが自然に抱く情愛とが複雑に交錯するなかで、人間の業に苦悩しつつもひたすらに剣の道を究めていく武蔵……。単なる剛の者ではない武蔵の非凡さに驚き、惹きつけられたものです。
 あれから40年ほど経って、何かのきっかけで再び宮本武蔵に関心が向き、吉川英治の作品をもう一度読み直してみました。昔の印象と比べて、何より作品の「景色」が違う、「色合い」が違う、作中の言葉一語一語の重みや深みが違う。懐かしさもありましたが、全く新しい別の作品のようにも思われました。人間模様の味わいを多少なりとも知ることができるようになったのか。歳月は鑑賞のあり方に影響を及ぼしたのかもしれません。
 とにもかくにも一旦宮本武蔵に興味関心を持つようになると、関連書籍もあれこれと読んでみたくなるのが性で、そんな中には「武蔵ゆかりの地を巡る」というガイドブックの類などもあった次第。その本を読んでいると、どうやらこの愛知県内にも武蔵ゆかりの碑が2カ所あるということがわかりました。どちらも名古屋市内です。そんな近くにあるならば行ってみよう、ということで先日その2カ所を訪ねたのです。
 先ず南区の笠寺観音(笠覆寺)。本堂の修復やら会館の新築やらで、あちこち工事中でしたが、特に縁日でもなかったので人出は少なかったです。寺名由緒の「玉照姫様伝説」に関する案内看板を読みつつ肝心の武蔵碑を探すと、本堂より東の方に建っているのを見つけました。近年「宮本武蔵の碑」という、わかりやすい案内表示が設けられたようです。武蔵碑には花が供せられており、墓所のようにも見えますが、彼の墓所は熊本にあります。ここ笠寺の碑面を見ると「新免武蔵守玄信之碑」と刻まれています。そもそも宮本武蔵の「宮本」とは美作国(みまさかのくに。今の岡山県東部)宮本村に由来し、本名については、彼の兵法書『五輪書』によれば「新免武蔵守藤原玄信(しんめんむさしのかみふじわらのはるのぶ)」とされています。武蔵は名古屋に3年ほど逗留し、彼の円明流(のちの二天一流)を弟子達に教授しました。武蔵没後100年を記念して、彼の孫弟子・左右田武助国俊の子孫や門弟により建立されたのが、この笠寺の碑なのです。
 もうひとつは、昭和区の半僧坊・新福寺。こちらは武蔵没後149年後に、左右田国俊5代門弟・市川長之とその弟子達が建てた碑で、碑面には「新免政名之碑」の文字を読むことができます。(武蔵の名は「政名」とも伝えられています。)とても静かな寺院で、名古屋市教育委員会による解説看板も立てられています。そこにあるように、碑文は漢文であり、かつ碑面そのものが相当傷んでいるため、その内容全部を理解することはなかなか難しいと言えます。かく訪問するうちに感じたことは、笠寺の碑も新福寺の碑も、今となっては知る人ぞ知る碑になってしまったのか、ということです。何とも寂しい限りです。
 ところで、剣豪・武蔵は「風呂嫌い」であったと伝えられています。ただの「ものぐさ」という訳ではなく、やはり兵法者として隙を見せたり、刀を離す瞬間を作りたくなかったからでしょう。寝る時にも刀を帯びていたというぐらいですから、常に生死を賭けた真剣勝負の緊張感を保っていたのかもしれません。かの源頼朝の父・義朝は、平治の乱で平家に敗れ、知多の長田氏のところまで逃げ落ちてきた時に、風呂を勧められたので入浴していると長田氏に裏切られ殺害されてしまいました。「せめて木太刀の一本でもあれば」と言い遺して無念の死を遂げたのです。野間大坊(大御堂寺)にある義朝の墓には、今でも沢山の木太刀が奉納されています。「もののふ」と刀剣とは言わば一心同体なのでしょう。
 武蔵の「風呂嫌い」。ここでふとあることを思い出しました。いつも名古屋へ行った時にとても気になっていた風呂、「銭湯」があったことを。今日この日に名古屋へ来たのも何かの縁、本当に本当に久しく足を向けたことがなかった銭湯なる所へいざ浸かりに行かん!……まあ、ただの気まぐれ、思いつきに過ぎないのでしょうが、「ひとっ風呂浴びる」という言葉が頭の中でこだまし始めたのですから仕方ありません。
 昔は連れて行ってもらった記憶がありますが、それは幼少期の話で、最近では大概のご家庭に内風呂があるため、銭湯を利用する機会も減ってきているでしょう。内風呂が故障したとかの理由がない限り行かないし、飲食・レジャー・リラクゼーションも楽しめる「スーパー銭湯」があちこちにでき、草津・有馬・下呂を問わず全国の温泉地へ旅することも容易な世の中となった以上、ますますもって昔ながらの銭湯からは足が遠のいてしまうに違いありません。利用者が減れば、銭湯そのものの数も減ってくる訳で、レトロ感溢れる銭湯は風前の灯火……だからこそ尚更、銭湯に興味関心が湧いたり、昔を懐古して探訪し、今もなお生き続ける貴重な「日本の文化」を体感してみたくなったとしても、それはごく自然なことであると言えましょう。事実認識の正否はともかく、好奇心に嘘偽りはありますまい。(ここで言葉の整理を。いわゆる「内湯」対「外湯」とは、「旅館内浴場」対「総湯」とか「内風呂」対「外風呂」を指し、また「内風呂」対「外風呂」とは、「自宅風呂」対「銭湯・スーパー銭湯・温泉旅館浴場」や「屋内風呂」対「露天風呂」をも意味します。)
 件の銭湯には営業開始時間の30分も前に到着してしまったので、しばらく車中待機しようとすると、車窓からは風呂桶とタオルを持った人々が次々とやって来るのが見えました。どこからやって来たのか、老若男女を問わず、「ゆ」の字が高く掲げられた煙突を目指して続々集まってきます。「これはどうやらもう開場しているな」と見て取り、私も遅れじと銭湯入口へと歩いていきました。入口には銭湯の若女将らしき人が立っていたので、「もういいんですか」と尋ねると「どうぞ、いらっしゃいませ」との返事。いやはや、何と「フライング客」の多いことか。常連客にとっては常識なのでしょうか。
 「銭湯世界」に一歩を踏み入れ、下駄箱に靴を入れて施錠し、そのカギを持って受付へと向かいます。受付には先ほどの若女将が先回りしてスタンバイしており、私の払う入浴料を受け取り、無料の手ぬぐいタオルを渡してくれました。こちらの銭湯では、バスタオルは有料、ボディーソープやシャンプーは備付のものあり、となっています。
 さてさて「男湯」の暖簾をくぐって脱衣所へ入りますと、脱衣中か着衣中か、もう何人もの先客がおり、中にはテレビを見て野球談議に花を咲かせている人や、体重計に乗って一喜一憂している人も見受けられました。私は私で衣類をロッカーへ入れて施錠、扉を開けていざ浴場へ……。もわんとした湯気の空間には、大風呂が2つ、薬湯風呂と電気風呂が各1つ確認できました。風呂桶やら風呂椅子やらがいくつも積まれ……と、そんなことより目前の浴場は既に満員ではありませんか!湯船の中もシャワーの前も、「フライング客」で大賑わいなのです。じっと湯につかっている人、黙々と体を洗っている人、知り合い相手か会話に余念のない人、陣取りに忙しい人等々。驚きつつも、先ず「かけ湯」をします。入湯のルールとして、タオルは湯船に入れない、シャワーは振り回さない、泡はしっかり洗い流す、湯は大切に使う、などが挙げられますが、お行儀のよい人も悪い人も湯船に入れば順不同、「呉越同舟」の感がありました。まさしく現代社会の縮図です。
 富士山のモザイクタイル画がないのを少し残念に思いながら、熱過ぎず、ぬるくもない湯に浸かり、ひとり目を瞑って静かに体を温めます。女湯からも声が聞こえてくるので、あちらもかなりの客入りでしょう。体の芯まで温かくなったら全身をざっと洗い、それをシャワーできれいに洗い流した上で、脱衣所前にてタオルで粗々体を拭いておきます。着替え終われば、また受付のあるスペースへと戻ることになるのですが、改めて眺め回してみると、そこにはソファーやマッサージチェアが置かれており、壁には地域のイベント案内とか同業者紹介の新聞記事などが掲示されていました。喉が渇いたので炭酸水を買って飲みましたが、勿論、定番のコーヒー牛乳やジュース、それにビールの類も売られていました。そんな光景を楽しみながら一息ついたので、靴に履き替えて外へ出たのでした。
 湯けむりの中には客同士の話声、湯水の流れる音、桶が置かれる時の響き、ピタピタという足音が混じり合っていました。集う人々の休息と癒しの場です。恐らく彼らの家にある風呂は別に壊れてはいないのでしょう。只々人と触れ合いたい、集い寄り合いたい、あるいはまた銭湯文化に触れてノスタルジーに浸りたいのかもしれません。心も体も温まりたいという願いです。その意味で銭湯は、たとえ都会のど真ん中であっても、引き続き必要とされ、求められて当然の施設であると言えます。今日も明日も明後日も、皆何かを期待し、ワクワクしながらやって来て、出来得れば体の汚れも心の「おり」も、苦しさも辛さも洗い流してしまいたいと願っているのでしょう。そんなことに気付きました。
 ただ、次に思うことも、偽らざるところ「両立」してしまうのです。
 それから家に帰って、また風呂に入りました。毎度の如くせっかちな「カラスの行水」です。ところがどうしたことでしょう、銭湯の時より妙にリラックスできました。狭くて小さな内風呂ですが、不思議と安心できるのです。気兼ね無用で気楽な、普通の「ありふれた」日常生活に戻った安堵感によるものなのでしょうか。あれほど行きたがっていた旅行から帰ると「わが家が一番」と本心から感じるのと同じでしょうか。世界中の美味を礼賛し、美酒に酔った後に、自宅の水道水コップ一杯にこそ真の「うまさ」を見い出すという例に似ています。いかなる銘酒も実は家庭の水には敵わないのでしょう。そこには、見栄、虚飾、体裁、世間体、煩わしい人間関係からひとまず離れた「素」の人間だけが感覚できる「素朴」への「素直」な感動があります。何の変哲もない、平々凡々な状況で舌を湿らし喉を通る水こそ甘露なり、甘露なり。
 とは言え、今回の「銭湯文化体験」はとても楽しいものでした。懐かしむ心は満たされ、確かに潤いました。いい湯でした。色々な意味でポカポカになりました。
 建設の仕事は、時に自然に逆らわず、時に自然と対峙して、完成を果たさなければなりません。これからの季節、自然は我々にとって厳しい条件を突き付けてくることでしょう。そこで我々は、己の持てる知見・技術・体力の限りを尽くし、全力で職務に邁進しなければならないのと同時に、状況によっては、しなやかに、柔軟に臨機の対応(こなし)を求められることになります。
 心身を養い、諸事「間合い」を確認しながら、緊張と弛緩、押しと引きの「二刀」を巧みに使い分けて、今期あと1カ月余を見事に締めくくり、来期への勢いを付けましょう。
 先ずは「ひと呼吸」を入れて考える。ご安全に。

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