IWABEメッセージ
Messages
第83回「ある先生と生徒の対話」
6時間目の授業の始まりを告げるチャイムが鳴りました。先生も教室に入って来ます。日直は真っ先に席を立って、元気よく号令を掛けます。起立、礼、着席!
先生「はい、みんな、この間出した読書感想文の宿題は持ってきているか?後で回収するからな。ところで、みんなはどんな本を読んで感想文を書いたのかなあ。A君、君は何を読んだんだい?」
生徒A「『徳川家康』です。」
先生「へえ、あの大長編のかい?」
生徒A「そうです。大河ドラマでも話題になっている人物ですし、ここはひとつ読んでみようかと。最後まで読むのは大変でしたけど、横山光輝先生の作品は飽きさせませんね。」
先生「横山光輝?山岡荘八じゃないのか。横山光輝というのは漫画家だろう。君は漫画を読んだのかね?」
生徒A「原作は山岡荘八ですよ。漫画じゃ駄目なんですか?漫画も立派な芸術作品じゃないですか。読むということでは活字と変わらないと思いますが。」
先生「漫画作品が活字作品に劣るとは言ってないし、感動もするだろう。ただ、読書感想文の対象となる作品は文学作品と相場が決まっているんだ。活字を1文字1文字追って読み込んでいき、作品自体の面白味や作者の意図を感じ取って、その体験を書き記す。そういうもんだよ。一口に漫画と言っても、社会現象を巻き起こしたり、世の中に重大な問題提起をしたりする作品もあることはよくわかっているけれども、今回の宿題で『漫画を読んできました』というのはいただけないな。」
生徒A「じゃあ僕の読書感想文は提出しても受け取ってもらえませんか?」
先生「いや、君が読後の感想をどんな風に文章化したか知りたいからね、提出しなさい。……おいおい、B君、B君。君は教科書を立てて置いて居眠りをしているのかね?」
生徒B「違います。お腹が空いたので早弁させてもらっていただけです。」
先生「どちらにしても褒められたものではないな。授業中は遠慮しなさい。それで君は何を読んだのかな。」
生徒B「SF物です。」
先生「SFって空想科学のことだな。これもまた読書感想文の宿題で読むジャンルとしてはどうなんだろうなあ。」
生徒B「どうしてですか?SFは、時間や空間に制約を設けず、どんな世界でも舞台にできる夢のある作品だと思いますが。登場するのも人類だけじゃないですよ。宇宙人や機械ロボット、何でもありです。」
先生「現在・過去・未来、原子レベルから宇宙空間まで、どんな状況設定も可能で、とても面白い分野だとは思うよ、SFは。場合によっては、全人類的なテーマを扱ったり、人間の本質をえぐったりする『装置』として特に適しているのかもしれない。三島由紀夫も『美しい星』といった小説を書いているしね。だけどなあ……。」
生徒B「先生は、ジュール・ベルヌの冒険物やジョージ・オーウェルの『1984年』、アーサー・C・クラークとかアイザック・アシモフなどの古典的名作、小松左京の『日本沈没』などは文芸作品としての値打ちはないと仰るのですか?」
先生「そこまでは言わない。いや、君はいろいろと詳しいねえ。よろしい、SFも結構だ。先生が興味あるのは、むしろ君がどんな感想文を書いてきたかだ。空想科学小説を通して訴えかけられてきた世界観や価値観に君がどんな印象を抱いたのか……楽しみだな。」
生徒B「その点はまだ最後まで読めていませんので、感想文に着手できていません。」
先生「時間旅行でもできれば過去に戻って作文が書けるのにな。次回までに必ず持ってきなさい。そのあとで君の考えなるものを聞こう。うん?そこでニヤニヤ笑っているC君、君は確か長編物にチャレンジするとか言っていたな。」
生徒C「はい、ドストエフスキーの『罪と罰』を選びました。」
先生「ほう!ロシア文学だね。ラスコリニコフの行動についてはどういう感想を持ったかな?とにかく、あの作品は大著で、読みごたえがあって大変だったんじゃないかい?」
生徒C「いえ、大したことはありません。すぐに読めてしまいました、あらすじを読んだだけですから。最近は便利な世の中になって、有名な文学作品のあらすじだけをまとめた本が出ているんです。本当に助かります。」
先生「あらすじを読んだからと言って、その文学作品を読んだとは言えないぞ。作品全体を読み通さず、端折って結末だけ知って一体何になるんだい?あらすじでは省略されてしまった部分にこそ大切な内容や意味が含まれていたかもしれんぞ。結末を知ることが読書じゃないよ。結末に至るまでのプロセスも熟読玩味しないとね。」
生徒C「それがまた結構しんどいことでして……。」
先生「映像や音楽などのコンテンツは一方的に流れてきて、こちらはそれを漫然と受け止めていれば鑑賞成立、楽だよね。他方読書は、自分の意志で、つまり能動的かつ積極的に本と向き合い、一文字一文字、一頁一頁を忍耐強く、しかも頭を働かせながら理解・吸収していかなければならないだけあって、労力も要るし、とてもしんどいのだ。それを厭うところに読書は成立しないよ。でもね、しんどさも、いずれ楽しみに変じていく訳なんだ。」
生徒D「先生、ひとつ質問があります。ふと思ったんですが、一体何のための読書なんでしょうか?どうして本を読むんでしょうか?」
先生「目的や理由は人それぞれだろう。知識を得るため、娯楽のため、人生のヒントを得るため、心の支えを求めるため、感動を覚えるため……うーん、知的好奇心を満たすためとか。要は『知る喜び』ということなんだけれども。」
生徒D「それじゃあ、読書感想文を書くため、というのはつまらない理由になりませんか?」
先生「それは一理あるが、読書に親しみ、かつ作文力を磨く機会を作るという教育的側面もある。たくさんの個性的な言葉や表現に出会いながら、自分独自の表現力を養ってほしいんだ。それにしてもC君、文学作品のあらすじなんてネットですぐ検索できちゃうんだよな。」
生徒C「そうなんです。あらすじだけでなく、本そのものも印刷物から電子書籍へと移行していて、パソコンとかスマホで読めてしまうんです。むしろ僕達にとっては、そちらのスタイルの方が当たり前になっています。」
先生「昭和生まれからすると何か飽き足りないんだよなあ。紙に印刷された本の質感と重量感、紙やインクのにおいを感じるとか、読んだ分量がページの厚みでわかるとか、だからこそ達成感が生まれるとか、読み終えて本棚に並べたり、積読でも手元に置いておいたりすると所有欲が満たされるとか……紙の本は、こうしたことすべてが備わった『総合芸術』なんだよ。でもまあツールはともかく、先ずは読んでみる、これが大切なんだ。うん?Eさん、さっきから思案顔だが、何か意見でもあるのかな?」
生徒E「意見というほどのものではありませんが、これから先、読書や感想文を巡る環境はもっと変わっていくんじゃないかと。今でさえ、課題図書名、本人の学年、本人の書いた(クセのわかる)文章等を送信すると有料で感想文を書いてくれるという『サービス』があるそうです。自分で読みもせず書きもせず、確かに片付け仕事ですよね。ですが、物事に真正直に対峙するなんて馬鹿らしいという発想は相当蔓延しているんじゃないでしょうか。」
先生「つまり、楽して果実さえ得られれば、どんなズルも許されるというような発想?」
生徒E「誰だってそういう誘惑に駆られることはあると思います。しかも、今後AI(人工知能)が一層発達すると、その生徒の個性を十分反映した見事な感想文が瞬時に作られるようになります。まるで大昔は自分の足で歩いて江戸まで行っていたのが、今では新幹線で居眠りしながら東京まで行けてしまうように、人間自身がやらなければならなかったこと、人間しかできなかったことが、どんどんなくなっていって、AIや機械がやってくれるようになるんです。これは私の空想でも主観でもなく、現実です。」
先生「いやな現実だが、科学部のEさんならではの見方だね。世の中を豊かにし、技術を進歩させても、当の人間は衰え退化していく基調にあるようだ。『人間の退化は文字の発明に始まる』なんて言う人もいるけれども、どうやら人間は、自分達のこしらえた理屈と技術で自縄自縛に陥ってしまい、にっちもさっちもいかないところにまで至ってしまったのかな。」
生徒A「何だか夢も希望もないですね。僕達はこれからの世代ですよ。明かりをください。」
先生「いや悪かった。ただ、このまま行くと、世の中はAIを絶対視し、人間そのものを信じなくなって自己疎外していくかもな。AIを使っていたつもりが使われることになり、気付いた時には人間は社会の主人公から奴隷に転落していたりして。」
生徒A「ですから明かりを!」
先生「うん。今さら言うまでもなく、人間は神様でも仏様でもないから不完全だよね。その不完全な者が、それぞれにベストとは言えない行動を繰り返しながら、他の不完全な者と引っ付いたり、離れたり、ぶつかったり、作ったり、壊したりを連続させる。過誤に至ったことやその原因が分かっていても、またぞろ同じことをしでかしてしまう。成長しているのか足踏みしているのかわからないような、どう仕様もない生きもの、でもやっぱり憎めない生きもの、それが人間なんだろう。しかも面白いことに、不完全な人間は、到達し得ないかもしれない『完全』に憧れ、それを目指し、考え悩み、試行錯誤し続けるんだな。そこにこそ特殊、人間の領分があり、自律がある。価値観、倫理観、情緒、信仰などは数式で測定することはできない。AIを定規にせず、まさしく人間ひとりひとりが自分の頭で生涯かけて探し求める事柄なんだ。答えが出ようが出まいが、また次の世代以降まで続いていこうが関係ない。そうした『探し求めようとする心持ち』にこそ人間の輝きが見られると思うね。」
生徒E「でも、もしかしたら人間はAIに全依存した方が幸せなのではありませんか?」
先生「全依存するという選択は、他ならぬ人間自らが万事選択・決定できるという地位を放棄する選択であって、無味乾燥どころか自滅への道を加速させるものだ。だからこそ、何ものかに全依存して思考停止するのではなく、今現在の自分自身の言葉を駆使して『人間らしい』『人間臭い』感想を表現してみてほしいんだ。おや?もうチャイムだ。宿題は回収します。では、みんな、元気に出校してきたように、元気に下校してください。ご安全に。」
生徒一同「ご安全に。」