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第109回「三塔巡り」
「サントウメグリ」と聞いて、皆さんはどんなことを想像するでしょうか。先ず「サントウ」という言葉の音から「三湯」を思いついたとすれば、ここでの話の展開は「三つの温泉」、もっと特定すれば「三名湯」とか「三名泉」を語ることから始まります。その選出は個人の主観や嗜好に随分左右されるものですが、例えば平安時代の清少納言は『枕草子』(能因本)に「湯は、ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と記しています。「ななくり(七栗)の湯」とは今の榊原温泉(三重県)のことで、あとの2つはご存知の有馬温泉(兵庫県)と玉造温泉(島根県)です。室町時代には禅僧の万里集九(ばんり しゅうく)が唱え、それを受けて江戸時代の儒学者・林羅山が言明した別の「三名泉」が登場します。「摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島」、つまり有馬温泉、草津温泉(群馬県)、下呂温泉(岐阜県)で、現在多くの人がイメージする「三名泉」でしょう。
それでは「サントウ」を「三塔」と捉えたらどうでしょう。初めに言及しておくべきは「比叡山三塔」です。天台宗総本山の山内は、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)という3つのエリアに分かれており、それら全体をして「延暦寺」と総称されています。広大な境内に先ず驚かされますが、伝教大師・最澄以来の霊場には心身を清浄にする不思議な空気が漂っているように感じられます。
建築物ということならば「三大五重塔」があります。日本国内に数ある五重塔のうち、歴史的にも建築学的にも、また美観的にも特に優れた名塔とされ、まさしくそれは、法隆寺(奈良県)、醍醐寺(京都府)、瑠璃光寺(山口県)にそれぞれ建つ五重塔であるという見方です。この見方については、かなりの人々が納得できるものであると思われます。
ということで、前置きが長くなりましたが、実は今回私がお話ししたいのは「斑鳩(いかるが)三塔」についてなのです。これまでにも何回か訪れたことはあるのですけれども、先日改めてその「斑鳩三塔」巡りをする機会があり、その際にあれやこれや想い考えたことどもを以下に書き記していくことにします。
斑鳩とは、今で言う奈良県生駒郡斑鳩町辺りの地域を指す名称で、上述の法隆寺を中心としたエリアです。観光地らしい施設も見られますが、基本的には田園地帯で、その田園の中に飛鳥時代以来の歴史を伝える寺院と、伝統的日本家屋からなる農家集落が点在しています。遥か彼方に大陸文化を望みながら日本の国柄のあるべき姿を必死に追い求めていた「古人(いにしえびと)」の鼓動が今もなお聞こえてくるほどに斑鳩は静寂そのもので、その景色は、古代に作られた仏像が微かに笑みを浮かべている様子に似た穏やかさに包まれていました。そこに見えたものは、まさしくアルカイックスマイルに秘められた慈悲心そのものだったのかもしれません。その斑鳩の地に建つ「三塔」。ここで言う「塔」、すなわち「仏塔」とは、仏舎利(釈迦の遺骨)を安置する建築物のことなのですが、ほとんどの塔においては釈迦の遺骨の代替品が納められています。恐らく飛鳥時代には「斑鳩三塔」以外の塔も建っていたことでしょうが、残念ながら現存していません。現在でもその姿を拝めるのは、法隆寺の五重塔、法起寺(ほうきじ)の三重塔、法輪寺の三重塔だけなのです。
法隆寺の五重塔。推古15年(607年)に推古天皇と聖徳太子が薬師如来を本尊とする法隆寺を完成させました。『日本書紀』によれば、天智9年(670年)に法隆寺は全焼してしまいましたが、その後再建が始まり、現在も飛鳥様式建築の壮麗な姿容は多くの人々に感動を与え続けています。境内の西院伽藍に建つ五重塔は、基壇上約32.5メートルの高さを誇り、最下層の内陣には釈迦入滅などを表現する塑像群が四方ぐるりと安置されていて、活き活きとした造形からは当時の篤い信仰心が伝わってきます。とにかくこの五重塔はどこから眺めても均整の取れたプロポーションが見事で、これを和辻哲郎は著書『古寺巡礼』において「動的な美しさ」と表現しています。五重塔の周囲を歩いて眺めると、その動きに応じて、塔の姿も箇所箇所で変幻自在に緩急をつけて変動するというのです。「塔全体としては非常に複雑な動き方で、しかもその複雑さが不動の権衡と塔勢とに統一されている」。不動のうちに見る動、動のうちに見る不動。動と不動との間に美を感じ取ったのでしょう。
法起寺の三重塔。聖徳太子が法華経を講説した岡本宮を、太子の遺命を受けた長子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)が寺に改めたという推古30年(622年)を法起寺の創基とします。往時は数々の堂宇が建ち並ぶほどの隆盛を見せていた境内も、今は古代の建物と言えば三重塔のみで、本尊・十一面観音菩薩立像は新造なった収蔵庫に安置され、その他には江戸時代に建てられた講堂や聖天堂を残すばかりとなっています。こちらの三重塔は国内に現存する最古のもので慶雲3年(706年)に建立されました。少し離れたところにある駐車場を利用し、しばらく斑鳩の田園風景を眺め、静穏を楽しみつつ散策していると、少し坂を下った辺りに佇む三重塔が見えてきます。飛鳥以来の歴史を力強い「波動」の如く伝播させているようです。「息吹」と表現した方がよいでしょうか。高さ約24.5メートル。共に国宝である法隆寺五重塔より高さは低いものの、優美で安定感のあるフォルムは飛鳥様式寺院建築の傑作と言えます。実に堂々としていながら慎ましやかで、塔を目にする人々と「みほとけ」とをつなぐ大切な役目を悠久の時間のうちに務めている風容は気高くすらあります。初層に掛かる白い幕が破れて傷んだ状態で揺らめいているのは、好天に恵まれた明るい斑鳩の地に漂う薫風、と言うよりもむしろ「哀愁」という名の風によるものだろうと想いました。そんな想いを抱きつつ散策を続けます。
法輪寺の三重塔。推古30年、聖徳太子の病気平癒を祈願するために山背大兄王が建立したと伝わる法輪寺を象徴するのが三重塔ですが、新しく建てられた収蔵庫(講堂)に安置される数々の仏像も美術的に大変優れており、例えば飛鳥時代の作品である本尊・薬師如来坐像や寺伝・虚空蔵菩薩立像は、法隆寺の仏像制作に携わった止利派の仏師による作と見られ、特に後者の仏像について亀井勝一郎は著書『大和古寺風物誌』の中で「下ぶくれのゆったりした風貌、茫漠とした表情のまま左手に壺をささげて悠然直立している。不動のみ姿ではあるが、いまにも浮々と遊び出るような春風駘蕩たる風格も偲ばれる」と記しています。亀井は同著で法輪寺の「荒廃」について頻りに触れ、嘆くとともにそこから何ごとかを見出そうとしていますけれども、それが著された後のこと、法輪寺ではさらに大変な出来事が発生しました。飛鳥時代の名塔・三重塔が昭和19年(1944年)の落雷で焼失してしまったのです。全焼故に国宝指定は解除されましたが、それでも住職による勧進行脚により、また文学作品『五重塔』を書いた幸田露伴の次女で作家の幸田文など多くの人々の支援により、遂に昭和50年(1975年)再建が成りました。宮大工はかの西岡常一棟梁でした。「斑鳩三塔」の中で唯一国宝ではありませんが、再建から50年経った今、新しさにも十分「時代」が付いてきており、現代人の情熱と技術をもって飛鳥文化は確実に中継されたと見てもよいでしょう。なるほど境内には再建された三重塔とわずかな堂宇が建つのみだとしても、古代から現代に至るまでの間に各々の「現世」を通過していった人々の信仰と祈りは、外形の転変を超えて今も脈々と息づいているに違いありません。
かくして斑鳩の地を歩き、「三塔」を巡りつつ思索に耽ると、やはり思い出されるのは亀井が「荒廃」について抱いた見方です。古寺古仏がいかなる状態にあろうとも信仰心を起こすこと、つまり「発心」が不可欠であり、建造物の復活よりも、荒廃を前にして涙した人の祈念の復活の方が大事であるという考え方です。『岩波写真文庫 いかるがの里 1950』(昭和25年 岩波書店)に掲載されている斑鳩の風景写真は、亀井の著作より8年後のもので、法輪寺の三重塔は焼失し基壇を残すのみとなっている様子が窺えますが、亀井が筆を執った時よりも一層荒廃が進んだ感がします。現在は一定の整備がなされているものの、撮影当時はまさに荒れ廃れていく一方だったのです。世間の関心や信仰心が薄れていたのか、古寺古仏を保守するだけの力が不足していたのか。いずれにしても、その痛々しいほどのありさまを目前にして悲しみくずおれる人は少なくなかったことでしょう。
荒廃、衰滅……。形あるものは崩れ、壊れます。その態様やスピードは保守の仕方にも左右されるでしょう。しかし、よくよく考えてみるに、そもそも時代とともに変化していくことは、善かれ悪しかれ「必然」として受け止めてはならないのでしょうか。それに例えば人間でいう加齢・老化はマイナス現象としてのみ捉えられるものでしょうか。それはまた心魂にもシワを刻むのでしょうか。外面と内面は常に変化の方向を同じくするのでしょうか。それとも内面は(心掛け次第で)末永く輝くのでしょうか。また、往時の美しさと今現在の美しさとの違いは何なのでしょうか。今現在の美しさには積み重ねられた時間の重みが備わっているはずです。均整がとれ、汚れなく、色鮮やかな往時の姿にだけ美がある訳ではないでしょう。勿論、それらの特徴が失われた後の外面に敢えて何らかの美を感じ取ろうとする向きもあるでしょうが、やはり人々が古寺古仏に惹かれるのは、時間の経過を背景として、外なる美とは別の、内なる美にこそ光輝があり、それがなお一層強まりゆくことを知るからだと思います。往時は外形的な美しさが内面的・実質的な美しさよりも際立ち、時を経て、前者は後退するものの後者が力強く光彩を放つようになると考えてもよいでしょう。この後者の美は、時の流れを意識し、すべての事物が避けられぬ理(ことわり)に大きく心を揺さぶられるようになって初めて体感できるものです。体感した瞬間、冷然と立ち現れた美の一面、少しく悲し気な表情をした美の実体を直接に観ることになります。
完全な形で在るところに美を感じるのはたやすく、無いところに感じるのは難しいものです。しかしながら、難しいなかで出会う美は、自身の心に強烈に感応することでしょう。長閑な斑鳩における鮮烈な感応が「発心」とつながるのかどうか……それを確かめるために、今後も何度となく散策に出掛けてみる必要がありそうです。
さて、第74期に入りました。今期の4月には、いよいよ当社創業「100周年」を迎えることになります。昔も今も、いずこにあっても、会社の役職員全員が「ものづくりの仕事」のあるべき姿を追い求めて、日一日と歩みを続けてきました。過去があって現在も未来もあります。その時間の流れの中のひとつの里程標が「100周年」なのです。
当社のモットーは「より美しく、より安全に」であり、さらにそれに「より高く、より広く、より深く」を加えて日々挑戦を続けています。挑戦し続けるひとりひとりの心と力がひとつになった時には、きっと素晴らしい光輝を観取できるはずです。今期も足元を確認し、その上で高い目標に向かって一致協力、見事に仕事をやり遂げていきましょう。
暑さ厳しい折から、何よりご自愛専一にて。ご安全に。