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第114回「年の瀬問答」

 夕食を終えて、お茶を飲みながら世間話に興じる夫婦二人。満腹感に浸りつつ二人は何を語り合うのでしょうか。
夫「まあ何だな、これでクリスマスも終わると一気に大晦日が近づいた感じがするな。」
妻「本当にそうね。1年経つのは早いものだわ。去年もこの時期にこんな話をしていたと思うけれども、もうあれから1年、あっと言う間に過ぎ去った気がする。」
夫「いや、去年どころか、これまで毎年同じようなことを言ってきたんじゃないかな。『光陰矢の如し』とか『歳月人を待たず』とかいう諺があるが、最近特にそれを実感するなあ。1年過ぎ去るのがあっと言う間なら、1日なんぞは気付かぬうちに終わってしまうんだろう。昨日もこうやってお茶を飲みながら話をしていたよね。あれからもう1日が経ったんだよ。早過ぎるくらいだ。この分じゃ人の一生だってごく短いもので、気付いたらこの世とおさらばしているかもよ。でも、そんな短い一生のうちにも色々な出来事があって、色々な人達と出会うんだよな。『ゴンドラの唄』は〈命みじかし恋せよ少女……〉と歌い、作家の林芙美子は〈花の命はみじかくて苦しきことのみ多かりき〉と書き記した……。」
妻「あのね、大体あなたの話は暗くなるのよ。もっと明るくて楽しくなってくる話はできないのかしら。ただでさえ年末はセンチメンタルになってしまうんだから。」
夫「ごもっともでございます。それに年末くらい難しい話はよしたいとは思っているよ。でもねえ、どうしても話の内容が特定の方向へと逸れていってしまうんだな。」
妻「もう慣れっこよ。そう言えば、お隣さんだけど、来月転勤なさるって。寂しくなるわ。」
夫「えっ、そうなの?そりゃ残念だなあ。もう音楽談義ができなくなるよ。思えば私達もこの町に住むようになって長いけれども、住むのが長い分、新しく転入してきた人達に出会う機会と同じくらいに沢山の転出していく人達を見送ってきたよね。そりゃあ笑顔でお別れしたいのは山々だよ、でもね、どうしてもしんみりとしてしまうんだよな。当たり前のように毎朝ご挨拶していたのが、ある日を境になくなっちゃう訳でしょ?ひとつの所に長く留まれば留まるほど、ひとつの日常に終焉が訪れるのは事実辛いものに思えてくる。」
妻「長生きするのも似たようなものね。勿論、誰だって健康のうちに長生きしたいと願うけれども、小沢昭一が昔語っていたように、長生きするということは、その分多くの人々が移転して去っていくのを、場合によっては彼岸へ旅立っていくのを見送らないといけないということに等しいのよ。去る方も辛いけれども、見送る方だって辛いの。」
夫「一定の時間を生き、一定の空間に居続ければ、時の流れのうちに実に様々な変化を目撃することになる。そうすると、どうしても変化する前の状態を懐かしむ気持ち、哀愁が湧いてきてしまう。たとえ変化が新しい時代の幕開けを告げる鐘の音だとわかっていても、変化とはこれまでの事態との別れを意味する以上、悲しみや寂しさを強く感じざるを得ない。」
妻「変化に期待したい面もある一方で、未知の世界へ足を踏み入れることに不安を抱いてしまうのも事実。」
夫「1年が終わり、次の年が始まるということも、当たり前のように思えて、実は悲しみや寂しさ、恐れなどと隣り合わせなのかもしれない。年末年始と一言で言うけれども、『蛍の光』と『一月一日』が連結しているようなもので、歌う方も気持ちの切り替えが難しいな。」
妻「本心から言うと、やっぱり別れとか急激な変化は嫌だし、できたら避けたい。ただでさえ1年過ぎ去るのは早いし、その間に山ほどの変化があって、本当に人生ってそんなことだらけなんだから、ほとほとうんざりして疲れちゃう。それもまた人生ってことかな?」
夫「美空ひばりの歌みたいだな。……で、その音楽好きのお隣さんの話に戻すと……。」
妻「そうそう、クラシック音楽のCDを何千枚も持ってるっていう……確か最近では、古典派の曲よりもワルツとかポルカを好んで聴いているっていう話だったわよね?」
夫「意外にもね。確かに今年はワルツ王ことヨハン・シュトラウス2世の生誕200年に当たるんだよな。彼の父親や弟2人もウィンナ・ワルツ(ウィーン風ワルツ)の作曲家として有名でね。まさに音楽一家だ。年末にはウィーン国立歌劇場でヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ『こうもり』が上演されるし、お正月にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の『ニューイヤーコンサート』が楽友協会黄金のホールから全世界へ中継される。毎年の恒例行事だよね。あのウィンナ・ワルツの独特の拍の取り方や音楽の抑揚、軽快さと躍動感、優雅さと華麗さは聴いていて全く飽きないね。」
妻「何よ、妙に詳しいじゃない?そもそもクラシック音楽の面白さを教えたのは私だったと思うけど?いつの間にやら沼にはまってしまったようね。」
夫「その点は感謝してますよ。ウィンナ・ワルツは『軽音楽』として分類されるんだが、親しみ易さとかわかり易さとかいう意味ならともかく、『軽』という表現は誤解を招くよなあ。」
妻「英語で言う『light』なんでしょうね。それで、彼の曲では何が好きなのかしら?」
夫「そりゃ何と言ったってワルツ『酒・女・歌』だよ、フルバージョンのね。」
妻「確か宗教改革のマルティン・ルターが『酒、女、歌を愛さない者は一生愚か者である』と言ったとか言わなかったとか……。」
夫「まあ一生愚か者かどうかは別として、あの曲を聴いていると何だかしみじみと語りかけられているような気がするんだ。つまり『たとえ辛いことや悲しいことがあっても、人の一生とは何と面白く素晴らしいものなのだろうか』とね。曲そのものが人生賛歌と言える。」
妻「あれ、何か思い出してきたわよ。昔一緒にウィーンへ行ったわよね?その時に郊外のグリンツィングにあるホイリゲ(ワイン酒場)に寄ったじゃない?あそこで土地の人々は、大いに食べ大いに飲んで、皆それぞれに何事かを語り合っていたわ。2丁のヴァイオリン、ギター、アコーディオンの四重奏に酔っているようにも見えた。そう、あの場面よ、皆は人生の喜怒哀楽を想える時と所を共有する老若男女の友達同士のようだった。喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも感じ合っていたのよ。そんな光景をしみじみ眺めていたものよね。」
夫「そうだったねえ……。共に讃えよ、人生を!悲しみ苦しみ背負いつつ、されども願え幸福を!」
妻「よっ、名調子!音楽っていいわね。でもね、同じ曲を聴くにしても、昔はテンポの速い演奏が好きだったのに、最近はゆっくりした演奏の方がしっくり来るようになったの。」
夫「そりゃ君、年を取ったってことじゃないの?」
妻「嫌な言い方しないでよ。そりゃ年齢を重ねれば好みも変わってくるでしょうけれども。」
夫「激しく同意。演奏のスビードだけじゃないさ。食べ物の好みだって変わってくるもん。先日、あるご老人と話していたら、あれだけお魚が好きだったのに、最近になってお刺身が食べられなくなった、と。どうしてですかと尋ねると、『どうにも生臭さが立っていけません』だって。そんなものかなあと思ったよ。」
妻「テレビ番組も同じね。だって、あなた、以前は年末の『紅白歌合戦』とか日曜日の『のど自慢』とか見なかったでしょ。今じゃ必ず見て何やら感心しているものね。」
夫「どういう訳か体内に『受容体』が出来上がっているようでね。昔と比べて、人々の振る舞いを素直に認めている自分に気付くときがあるんだ。本物の汗や涙を流し、懸命に表現しようとする姿も一面の真実、演技で繕って虚像を作り上げようとする姿もまた一面の真実。どちらの真実も『さもありなん』と思えてくるのさ。物の見方が研ぎ澄まされたのか、鈍ってしまったのか、どちらにしても我が身に変化が生じていることは確かだな。」
妻「それを言うなら、昔見た映画やテレビドラマを今見直したり、昔読んだ本をもう一度読み直したりすると、全く感想が違ってきているのよね。昔は何とも思わなかったところなのに、何故だか感動して涙が出てきたりしてね。涙もろくなっただけが原因じゃないでしょ。」
夫「時間が経過するにつれ、その分色々な経験をして、考え方も複雑になり、自分特有の観点とか感性とかいうものが養われていくんだろう。だから同じ対象に向き合っても、感じ方が全く異なることだって当然出てくるじゃないかなあ。」
妻「馬齢を重ねているようで、実は意味ある変化が知らず知らず自分の内に起きているのかもね。それが良い変化ならいいんだけれども。」
夫「良いか悪いかはわからないし、しかも不可避な変化なのかもしれない。だとすると、今を生きる以上は、先ずは現状の自己肯定からスタートするしかないと思うよ。」
妻「どっちにしても、好奇心と想像力だけは衰えさせたくはないわよね。だって、それがなければ、生きる活力や人間らしさは発揮できないでしょうから。」
夫「今年の大河ドラマは『べらぼう』だったでしょ?あの中で狂歌師が何人も登場していたよね。俳句に対する川柳の関係が、和歌に対する狂歌のそれなんだが、一流の優れた狂歌師達は和歌に関する知識を研鑽し、秀でた技法を備えていたんだ。だから狂歌を極めたい者は和歌を知らないといけない、和歌を知るためには和学(国学)を学ばなければいけなかったんだ。これは先日ある先生の講演会で伺った話でね。何事も極めようとするためには、たとえ時間はかかろうとも、順序を追って修練していく必要がある。物事の根本・根源のところまで探って到達しようとしなければ何も成し得ないということなんだろうね。」
妻「ゴールの見えない営みよね。だからこそ好奇心と想像力が原動力として必要なのよ。」
夫「まさしくね。ああ、そんなこんなでもうすぐ今年も終わる訳だ。どんな1年だった?」
妻「無風のようであり嵐のようであり、凪のようであり時化のようであり、起伏だらけだったようで平坦だったような1年かな。」
夫「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。つまりは、よくわからないところで何となく時を過ごしているということなのかもしれないね。でも、案外それこそが、人の数ほどある幸福のかたちのひとつを表しているんじゃないかな。」
妻「まあ公平に見てそんなところかしら。何とかそれなりに1年過ごせたということよね。来年は誰にとっても健康と平和の年になってほしいわ。そう思うでしょ?」
夫「全くだね。その前に、こうして私達が1年過ごせたのも、多くの皆様やそのご家族の優しくて心温まるご声援があったればこそ。先ずは何より『ありがとうございました』と感謝の言葉を申し上げたいね。」
妻「その通りね。その上で『来年もまたよろしくお願い申し上げます』『よいお年を』と。」
夫「それともうひとつのご挨拶を……。」
夫妻「ご安全に!」

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