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第113回「言葉の船旅」

 三浦しをんの小説『舟を編む』(平成23年 光文社)は、岩波書店の『広辞苑』や三省堂の『大辞林』を超える「紙の」中型国語辞書を編纂・出版するために、玄武書房辞書編集部の「浮世離れ」した、個性的で情熱と使命感に溢れるメンバー、馬締光也、その馬締を見出した荒木公平、馬締の良き先輩・西岡正志、冷静かつ着実に事務作業をこなすベテラン・佐々木薫、女性ファッション誌編集部から転属してきた岸辺みどり、それに編集作業の支柱的存在で、常に温かい目をもって編集部員達を見守り励ましてくれる監修者・松本朋祐先生が、多くの執筆者、出版関係者、また何より家族の理解と協力を得て、15年に亘る大事業に誇りをもって挑む姿を描いた作品です。単なる編纂・出版ストーリーではなく、辞書や言葉を巡る人間の葛藤や苦悩、悲喜哀楽が丁寧に描かれており、紙の本の完成は、人間の複雑多様な思いが見事に結集した末に初めて見られるものであることがわかります。では、その辞書とは何なのか。荒木は「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」と語り、それを受けて松本先生は「海を渡るにふさわしい舟を編む」と静かに続けます。故に辞書の名を『大渡海(だいとかい)』と名づけた、と。松本先生は別所でこうも語っています。「言葉は、言葉を生み出す心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです」。だからこそ、資金に乏しくとも、何ものにも強制されずにこつこつと編纂する現状に誇りを持とうというのです。残念ながら松本先生の存命中に『大渡海』は完成しませんでした。しかし、死してなお先生の魂は皆の心の内に生き続けられる、と馬締は思うのです。何故と言って、人間の生と死、過去と現在と未来をつなぐもの、それが言葉であり、先生の魂は先生の言葉を通してとこしえに響きを失わないからです。この小説は大きな反響を呼び、様々なかたちで映像化されました。
 世の中には、急激にであれ徐々にであれ、変わるものがあり、その反対に変わらないものがあります。不易流行。歳月は人の顔に皺を刻みます。では心に皺を刻むでしょうか。なるほど長生きするということは、家族や師友との得難い出会いに恵まれるとともに、深い悲しみのうちに多くの人々を見送らなければならないということでもあります。人だけではありません。自然環境や社会情勢の変化の中で得たり失ったりする事物、価値観もあるでしょう。これらは顔の皺に同じく変わるものです。それでは変わらないもの、いや、変えてはならないもの、あるいは変わらないで欲しいと願うものには、一体どのようなものがあるのでしょうか。ここで私はその一例として紙の辞書、もっと広く紙の本を挙げてみることにします。(以下「紙の本」のことを「本」と表記します。)
 亡父の書斎は生前と全く同じ状態に保たれています。天井まで届くほどの書棚が壁何面にも設置され、しかもそこには膨大な冊数の本が隙間なく収納されています。机の上に平積みされた本も、筆記用具も、調度品も生前のままになっています。整理が億劫だというのも一面の真実ではありますが、やはり故人を偲ぶ心境と、父が手に取った本をそのままの場所に置いておいてあげたい気持ちが今でも強く残っているのです。それに結果として、本を身近に感じ、本を愛した故人の姿勢そのものを保持することにもなるでしょう。そうした書斎の書棚を眺め、本1冊1冊をじっと見つめていると、それらの本が誰かに読んでもらうのを待ち焦がれているように感じます。書斎は昔のまま静寂のうちにありながら、圧倒的な質量感をもって迫ってくる本は、いずれも変わらず「声なき声」を発し続けているのです。
 「どうしてそんなに本にこだわるのか」。なるほど、ごもっともな疑問です。しかし、要は、本1冊1冊を良き師友、人生の伴走者と考え、本自体に「人格」まで認める者と、本なんぞただの植物繊維集成物に過ぎず、かさばるだけの厄介ものであると捉える者とでは、自ずから本への接し方が異なってくるということにすべての原因があるのです。前者は末永く家の中にあってほしいと願い、後者は一刻も早い「処分」を望むでしょう。されど、前者からすれば「処分」は「処刑」と同義なのです。それでは忍びない、せめて自分の存命中はそのままにしておいてほしい、本に囲まれ本に埋もれて死にたいのだ、だから死んだ後はご随意に、と率直かつ痛切に思うのが前者なのです。勿論、遺された人にすれば大変な作業を背負わされたことになり、その分申し訳ないところではありますが、上述のとおり本は師友・人生の伴走者であり、時として自分の心身の一部であると言っても過言ではないのですから、身も心も裂かれるに等しい「処分」などという血も涙もない所業だけは、せめて彼岸へ旅立つまでのことご勘弁をと心底より請い願うところです。本には「人格」があり、また本は人格の一部を構成します。どちらにしても本は「生き物」に他ならないのです。
 このように本は「生き物」であり、従って使用される紙、インクなどもすべて「生き物」の器官として機能しています。その本に印字される言葉は、人々の心へ影響を及ぼし続けることにより、著者の精神を永く伝えていくのです。しかも言葉とは大変に面白いもので、それによって表現される文章は書き手の性格や特徴を如実に反映するため、いわゆる文体は千差万別となります。言葉遣い、漢字の用い方、句読点の打ち方、改行の仕方、言い回しのスタイル、時には作文上の間違いまでも含めて、すべて文体上の個性を形成します。注意すべきことに、言葉からは、それを操る人の思考の深浅、人格の高低までもが垣間見えてしまいます。それ故に、言葉とその遣い方、さらにそれらが記録され、多くの人々に向かって発信・伝達される際の媒体たる本の有する恐るべき力の一面を我々は決して忘れてはなりません。最近のこと、出版会社の方々とお話しする機会がありましたが、彼らは本への深い愛情と、印刷して出版することへの固い信念を持つとともに、上述した本特有の恐るべき力を確と認識していました。加えて、さらにもうひとつの力、つまり人間の心を引き寄せる無限大の魅力を感知し、敢えて言えば本そのものに魅入られているようですらありました。紛れもなく、情熱と使命感、それに誇りを持って制作に取り組むプロフェッショナルの姿です。
 本。そこには著者は勿論、編集する人、紙やインクを作る人、印刷・製本する人、販売する人など実に様々な人々が関与し、彼らの情熱・使命感・誇りが一杯に詰まっています。彼らへの敬意なくして頁をめくることはできません。ただ一方で、電子書籍やネット記事などで情報提供する場合でも、そこには(AIを含む)著者が存在し、デジタル機器やソフトを開発する人、データを入力し発信する人など大勢が登場し、同じように情熱・使命感・誇りを持って携わっているではないかという意見も出てくるでしょうし、本の著者にしたところで実は正体はAIだったという事例も生じてきているでしょう。今の世の中で、紙とデジタルの優劣を問うことはなかなか難しく、両者間の境界線も分かり難くなってきています。その上、両者ともにメリット・デメリットがあります。確かに、これから先の時代、紙の印刷物は存立が厳しくなっていくでしょうし、デジタル化の動きは一層加速して、あらゆる舞台を席巻していくでしょう。ただ仮にそうであるとしても、やはり私は本にこそ優越性を認めるのです。こうした問題については、自分がどういう視座に立つのか、それ次第で答えが変わってくるものなのですが、少なくとも私は、技術の進歩や環境の保護を全捨象するとか、個人の趣味嗜好に頑迷に固執するとかいう観点から主張している訳ではありません。つまり、木から紙を作り、その紙に文字を記し、また活字を印刷し、加工して出版の上販売するという一連の流れにおいて、人間が人間として持てる知識技量を遺憾なく発揮し、自らの個性や自己という存在を強烈にアピールするということ、即ち人間が主人公となって脳髄から指先・爪先までをフルに機能させ能動的に活動するということこそが、最もわかり易い形で言葉に光を与えて活き活きとさせ、自身の素の姿を曝け出させるが故に、なお言えば、人間は人間臭い振る舞いに専心することで辛うじて「人間であること」を保ち得るが故に、本に優越性があると言うのです。デジタルの営みとは次元の異なる、より原初的なポジションにおいてなされる営みにこそ、正真正銘の人間の知的活動が開花するのだと信じます。そこにはまた、本づくりに携わったすべての人々の思いも刻印されているでしょう。「すべての人々」とは、「歴史の流れ」の中で必死になって浮き身に努め、言葉を巡って懸命に格闘してきた先人達も含みます。ページをめくる時に抱く敬意は、当然のこと歴史への敬意でもあるべきです。この敬意があるところ、本は一層身近に感じられ、読む楽しみ、知る楽しみは倍化されるに違いありません。これほど上質の体験はないはずです。それともうひとつ。すべての人々の「思い」には、別の世界に住む人々への思い、未来を生きる人々への思いも込められているはずです。本は時空を超えて思いを伝えるのです。
 間違いなく本こそは「人間らしい」産物であり、「人間のような」存在であり、従って我々人間と共に社会と文化を構成し、相互に扶助して補い合い、寄り添い合い続けるべきものに他なりません。たとえ時代遅れだと罵倒され、偏った主観の表明に過ぎないと冷笑されようとも、私は自らの感覚に間違いはないと考えます。人の心を惹きつける言葉に満ち溢れた「生き物」との会話は、頁をめくることによって始まり、数え切れぬほどの感動と学びを生み出します。そんな時、本はいそいそと息吹いています。本と向き合いながら、その息吹きを体感できることは、幸福以外の何ものでもありません。そう、もうおわかりのように、本は永遠の隣人であり、時に自分自身なのです。
 松本先生は言います。「辞書は完成してからが本番です。より精度と確度を上げるため、刊行後も用例採集に努め、改訂、改版に備えなければなりません」。その営みはとりもなおさず「生き物である言葉の変化に対応し、たゆまず言葉を収集して、ひとつの辞書を大切に育てつづけている証(あかし)」となるのです。
 人間が人間であるが故に挑み続ける航海。永久に終着せぬ困難な旅路。我々が言葉とともに生きる以上、乗船は選択の余地なき宿命なのでしょう。陽光に照らされて輝く大海原を望む時、「なんてきれいなんでしょう」と感嘆の声を上げられる幸せを享受したいものです。
 さて、令和7年も残すところあと1ヵ月となりました。そうです、もう年末なのです。1年経つのが早ければ、1日なんぞ瞬きするうちに過ぎてしまうでしょう。しかしながら、この時間の流れはまた、その人の置かれている状況に応じて速度の感じ方が異なってきます。まさしく異なる感覚を抱く人々が、ある時間を共有し、力を合わせてひとつの仕事を成し遂げるところに、皆で働くことの素晴らしさがあるのだと思います。
 各人が自分の時間を大切にするとともに他者の時間にも配慮して、精度と確度を高めつつ「ものづくりの仕事」に取り組んでいきましょう。辞書と同じく我々の仕事も、完成してから新たなる本番を迎えます。ゴール地点は次なるスタート地点です。様々な変化に対応して、たゆまず自己を磨き、育て続けていきましょう。
 万事せわしなくなる折から、先ずは心身のバランスに気を配って。ご安全に。

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